四季それぞれにウマい食べ物に出会えるのが日本の素晴らしさの一つだ。旬なモノを口にすると、季節感と共に生きてきたDNAみたいな部分が喜ぶ。
流通や冷凍技術の向上で、一年中たいていのものは食べられるが、やはり季節モノはその季節に味わいたい。
今年はサンマが不漁らしい。気候変化で日本中のアチラコチラで漁獲事情が変わってきているが、サンマも居場所が随分変わってしまったそうだ。
ダイエットに成功したような細いサンマはちょくちょく見かけるが、塩焼きなら適度に太ったサンマが一番だ。太りすぎていても脂でベチョベチョしちゃうから中型ぐらいがちょうどいい。
そもそもサンマは焼いて食べるのが一番美味しい。近頃は刺身や寿司ダネで生のサンマを使うが、あれはあまり好きではない。ハヤリものみたいな位置付けだと思う。
骨に気をつけながら身をほぐし、肝心の肝まわりをどのタイミングで突っつくかを真剣に悩みながら向き合うのが正しいサンマとの付き合いかただ。
極論すれば肝にこそサンマも素晴らしさが凝縮されている。だから個人的には生で食べるサンマには興味が無い。
松茸の香りを楽しむ土瓶蒸しも秋に欠かせない一品だ。熱々だから冬のほうがしっくり来そうなものだが、松茸や銀杏が秋を演出してくれるから、やはりこの時期からの楽しむべきものだ。
夏場だったらどんなにクーラーで身体が冷えたとしても不思議と土瓶蒸しを恋しいとは思わない。秋風が脳にスイッチを入れる感じだ。脳の神秘、DNAの神秘みたいな感じだ。
カツオもこれからますます美味しくなる。魚といえば何となくマグロが絶対王者みたいに思われているが、ウマいカツオの素晴らしさはマグロをも凌ぐと個人的には思っている。
カツオ愛を熱く語った話を貼り付けます。
http://fugoh-kisya.blogspot.com/2018/12/blog-post_10.html
土瓶蒸し、カツオの刺身、氷頭なますあたりを並べて酒を飲んでいると秋ならではの郷愁を感じるような気分になる。
この時期はイクラの生モノも捨てがたい。普段食べている冷凍物も充分に美味しいが、やはり生イクラはひと味違う。食感が少しはかなげな感じがする。でも官能的な味わいだから何ともセクシーである。
ついでにもう一つ秋を感じる食材を書いてみる。イタリアの名物・ポルチーニだ。独特な香りに熱狂的ファンも多い。
秋が季節だが、そもそも日本で出回っているのは乾燥ポルチーニや加工ソースなので一年中食べられる。それでもやはり秋に食べると気分はあがる。
その昔、私が家庭人だった頃、元嫁が作るポルチーニのパスタが絶品だった。本場イタリアでも何度もポルチーニパスタを食べたが、自宅パスタが一番だったからなかなかの仕上がりだったのだろう。
先日、そんな話を銀座の隠れ家「そうな」で語っていたらマスターが即興でポルチーニのパスタを作ってくれた。
わが家で作っていた乾燥ポルチーニの戻し汁を多用するパターンとは違うので比較は出来ないが、これまた実に味わい深い出来でムホムホ言いながら平らげてしまった。
秋は太る季節である。冬眠に向けてせっせと食べる熊みたいな感じだが、私もこの時期は食べ過ぎてしまうから気をつけないといけない。
そもそも自分の年齢が人生の秋にいるようなものだ。調子に乗らずに適量を心がけたい。
適量。こんな言葉を口にするようになったことが加齢の証であり、ちょっと残念である。
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