少しバタバタして更新が出来なかったので、仕事で書いたコラムを3つほど転載してみます。ここでは普段ロクでもないことを書いているものの、私にだって真面目な一面はあるという証拠?です。
不発弾。普通に暮らしているとピンとこないが、沖縄に関しては話は別だ。いまだ生活のすぐそばに不発弾の恐怖が存在する。毎年処理される不発弾は600~700発にも及ぶ。すべて処理するにはあと100年かかるという見方もある
不発弾に縁のない地域の人からすれば沖縄の処理件数は驚異だ。「鉄の暴風」という表現が決して大袈裟ではないことが分かる。終戦から77年、本土復帰から50年。台湾有事などキナ臭い話が浮上する今だから「沖縄の記憶」を改めて思い起こしたい
基地問題では普天間基地の辺野古移転をめぐる長年の迷走が県民の間に根深い遺恨を残した。補助金の在り方が県民の融和を破壊する結果を招いているなら税金の使い道として実に切ない話だ
「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」。77年前の6月、玉砕を覚悟した大田實司令官が海軍本部に宛てた有名な電文だ
今はインターネットなどで簡単に全文を読むことができる。皇国の繁栄をなどというお決まり言葉は一切なく沖縄県民の辛さにだけ言及している。その精神を風化させてならない。
近頃の画像加工技術の進歩には驚かされる。人の顔もスマホで簡単に別人レベルに美化される。参院選まで2ヶ月を切ったいま、候補者達の中にはせっせと選挙ポスターなどの顔加工に励んでいる人も多そうだ
人は見た目とはいうものの、さすがに国政を担う人材を顔だけで選んではいけない。当たり前だが政策面を吟味することが大事だ。そんなことを書きたくなるぐらい世の中の参院選への関心は低い
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当時の原子力安全委員会トップは「安全指針に瑕疵があったと認めざるを得ない」と国会の事故調査委員会で語り、原子力安全保安院トップも「安全神話に安住していたことは否定できない」と語った。明確に人災の要素を認めている
東京電力だけに責任をなすりつけようとした当時の両機関の醜さは今も忘れられない。結局、両機関とも責任追及を逃れるかのようにさっさと解体され、原子力規制委員会、原子力規制庁という組織に形を変えた。逃亡したような話だ
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