ファストフードの中毒性って結構凄いと思う。時々、というより割と頻繁に食べたくなる。都市伝説を鵜呑みにするようでイヤだが中毒になるスペシャルエキスが混ざっているのかと思えてしまう。
世代的にマックの日本上陸とともに育ってきた私だ。子供の頃はまだ今みたいに外食産業が賑わっていなかったからマックの衝撃は大きかった。
サンテオレ、ドムドムバーガーなどには見向きもせずにマックを愛していたが、ロッテリアやウェンディーズあたりが斬新なメニューを投入してきたのでそっちも喜んで食べた。
時々、ケンタッキーフライドチキンにも目を向け吉野家にも頻繁に通った。その後、すかいらーくを筆頭にファミレス全盛時代になり、気付けば大人になった今もファストフードが大好きだ。
大人になるとさも自分はファストフードなんか興味ないぜ、みたいなシタリ顔をする人は多い。あれはいけない。あんなにお世話になったのに身勝手だ。巨人の坂本選手じゃあるまいし、やはり世話になった人への礼節!は大事だ。
いっぱしのグルメを気取ったところで仕方ない。私の身体はファストフードに育てられた部分も大きい。昔よりはゆとりがあるから今はコストを気にせずふらちな大人食いが出来るのも嬉しい。
ビッグマックの倍バージョンである。相変わらず上のパンと下のパンをハズして中身を貪る。肉肉しくてウマいし、パンをどかすことでその他のいろんな種類のバーガーを味見できる。何より苦しくならないのが有難い。
子供の頃、親にせがんでビッグマック2つを含む合計9個のハンバーガーを食べさせてもらったことがある。わが人生の幸せな出来事ベスト10に入る素晴らしい時間だった。
当時のマックは安い路線ではなかったから富豪級の贅沢だった。もちろん純朴だった私はパンを残すことなど考えもしなかった。今とは大違いだ。
先日、ウーバーでバーガーキングの商品をあれこれ持ってきてもらった。久々のバーカーキングだったから一人なのに5個ぐらい頼んでしまった。
バカでかいといったニュアンスを意味するワッパーに齧り付くと若かった頃を思い出す。この日はチーズ入り、肉2枚のワッパーをむしゃむしゃ食べた。
本格バーガーショップがなかった昭和50年前後はハンバーガーのサイズと言えばマックが標準だった。ビッグマックを大きく感じた日々が懐かしい。
その後、もっとデカいのがアメリカ人の標準サイズだと知り、後発のバーガーキングの代表作・ワッパーの迫力に妙に納得した覚えがある。ビッグマックはパンばかり増えているだけで中身の迫力が足りないことを知った。
久しぶりに食べたワッパーは正直言ってマックよりウマい。中毒のせいでマックの頻度のほうが高いのだが、冷静に先入観抜きに食べたら絶対にワッパーに軍配が上がる。肉を食らったぜという満足感が強い。
あいかわらずパンを除外して中身ばかりをムホムホ食い散らかした残骸の画像だ。人として絶対に間違いである。有名人がこんな画像をSNSに上げたら活動休止に追い込まれるレベルだ。
有名人でなくても非難ゴーゴーは必至だ。ごめんなさい。でもこんなフシダラな食べ方のおかげで結構な種類のバーガーを味比べすることが出来る。
ピザのパイ生地だけをまるまる残したりケッタッキーフライドチキンの衣と鳥の皮を全部剥がして食べることもある。それはそれで太りすぎないための自己管理だ。成人病のリスクも抑えられるしひいては国家の医療費抑制に貢献できるかもしれない。屁理屈でスイマセン。
ファストフードと言えば犯罪的に甘いものも忘れてはいけない。私が思い立ってウーバーで注文するのがクリスピークリームドーナツである。何を食べても甘い。
不健康そうな味である。それこそが煩悩の塊である人間が喜ぶ味とも言える。甘味のないコーヒーを片手にこんなドーナツを食べるのは幸せの極地である。
甘すぎるぐらいのスイーツ、コーヒー、そしてタバコをセットで堪能すると今の時代に呑気に生きていることを心の底から嬉しく感じる。
これが江戸時代だったらありえないわけだし、100年前でも難しいだろう。今の時代だって未開のアフリカの奥地で暮らしていればこんな贅沢は味わえない。
全地球の歴史的観点から見てもそんな時間を当たり前のように過ごせることは宝くじに当たったみたいに幸運なことだと思う。
なんだかやたらと大袈裟な書きぶりになってしまったが、手軽な値段でガッツリ美味しくむさぼれるファストフード天国みたいな場所で生まれ育ったこと自体がとても幸運なことだと痛感する。
変に高尚なグルメ道みたいな話も嫌いではないが、還暦になろうと古稀を迎えようともファストフードを幸せいっぱいの顔で頬張るジイサンになりたいものだ。
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