リーマンショックに始まった不況の流れがいよいよ深刻な様相になりつつある。景気の良い話を滅多に聞かなくなったし、コストカットの話で持ちきりだ。
一時期、四の五の騒々しかった派遣切り問題も今ではさほど話題にのぼらない。それどころの状況にない企業や人にとっては、調整可能な変動費を削ることはごく普通の話でしかない。
正規か非正規かを問わず、戦力として不充分なら戦力外通告を受けてしまうのは仕方のないこと。種をまいて刈り取るまでの辛抱も大事だが、辛抱を続けられない状況なら、以前と同じに悠長に芽が出るのを待ってはいられない。
以前にも書いたが、最近さかんに引き合いに出される「天地人・直江兼続」がリストラをせずに藩の立て直しを図った美談にしても、従業員(藩士)の給料を3分の1にカットして成り立った話。今の時代、そのまま参考に出来るものではない。
夜の街も閑古鳥が鳴いている店が増えた。銀座あたりも遅い時間の人通りは想像以上に少ない。夢を見させてもらう場所でも出てくる話題は世知辛い。しまいにはその店の経営状況や改善策といった話に付き合わされる。
夜の世界で、勝ち組とそれ以外を明確に分けていることのひとつが「ジタバタの有無」だろう。もちろん、勝ち組の店が何もしないわけではない。的確な創意工夫はしている。
ジタバタしている店は、創意工夫が極端。店のスタイルや路線までいじるような思い切った手を打ってくる。功を奏すかどうかは微妙だ。
ファミレスとか、いわゆる路面店のようなオープンな飲食店なら、業態変更ぐらいの大胆な変化も有効だろう。それに比べて限定的で、知る人ぞ知る的な要素をウリにしている店の場合、あまり大胆な路線変更はリスクも大きい。
夜の世界の「クラブ」といえば、その閉鎖的な要素ゆえに「クラブ」と呼ばれる。いまどきインターネット上にホームページを開設していないことからもその閉鎖性が大事な要素だということは明らか。
キャバクラとの違いも突き詰めればその一点だろう。実質はどうあれ客のほうもメンバー的意味合いに惹かれている。
大幅で突然の路線変更には戸惑いだけでなく疎外感のような感覚もついてまわる。グルメ本に突然載ったレストランと同じ。
グルメ本のせいで一気に新規客が殺到するものの、常連さんが弾き出されてしまい、新規客の波が引いたあとには常連さんまで失うという話だ。
キャバクラ的ではない部分に魅力を感じているクラブの客にとって、「クラブ」だと思って通っていた店が、突如キャバクラ的に変身したら困惑だろう。そんな動きを見せる店が不況の深刻化とともに増殖している。
勝ち組と言われるクラブだと変なジタバタ劇は少ない。そこには勝ち組ならではの理由もある。不況になって慌てる前の段階、すなわち、平時の際も日頃から厳しいコスト・人材管理に励んでいる。
酔っぱらいついでにそんな厳しい話を少しは見聞きしてきたが、結構シビアな世界だ。ただ、日頃から厳しさを積み重ねていることが有事の際にジタバタしないでいられる唯一の理由なんだと思う。
まあそんなことを考えながら飲んでいても楽しくない。艶やかなホステスさんの笑顔に惚れっぽい私としては、シビアな彼女たちの闘いなど知らないほうがいい。
でも、艶やかな笑顔からは想像も出来ない厳しい裏事情があるかと思うと、それはそれで彼女たちに妙なシンパシーを覚える。
そんな感覚が私が魔界から抜け出せない理由かも知れない。
2009年3月19日木曜日
「銀座のクラブ」の意義
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