2009年3月23日月曜日

桜の季節


少し気の早い桜を見た。場所は銀座のクラブ・Mの店内。いわゆる周年パーティーに合わせて南の方からせっせと運んできたらしい。大量の桜が窮屈そうに店のなかを賑わせている。

私も含めて客の目線は、花より団子ならぬ、花より夜の蝶といった感じ。せっかく運ばれてきた桜はチラ見するぐらいで、へたすると枝が邪魔だとか文句を言っている。
何ともふびんな桜だ。

数日ずれていたら、ひらひら散り始める花びらを愛でながら綺麗どころとバカ話が出来たのだろうが、この日は、まだ咲き方が固い感じ。

桜の美しさは、あくまで青空がバックにあってこそだと思う。夜桜のライトアップがこれからアチコチで見られるが、なんか不自然で個人的に好きではない。

桜色と春の青空色のコントラストが揃ってはじめて、寒い季節が遠のいていく実感につながるような気がする。

もともと私は、どうだと言わんばかりの桜より、いじらしい梅が好きだ。各地の梅園にも随分と出かけた。なんか桜ってこれみよがしで豪華な感じがする割には、切なさがつきまとうように感じる。

死んだ祖父が晩年、この季節になると「人生最後の桜かもな」と口にしていた印象が強いのだろう。やはり日本人にとって、桜が持つ意味合いは大きい。単に季節の区切りであるというだけでなく、人生のさまざまな場面の区切りという要素が強い。

私自身、数年前のこの季節に大きな区切りを迎えたことがある。心中穏やかでない日々に自分なりに区切りをつけたのが、ちょうど桜が満開になった頃だった。

あと何回ぐらい桜の季節を迎えるかは分からないが、自分としては、転換期になったその出来事を毎年毎年、桜とともに思い出すのだろう。

人それぞれ楽しかったこと、苦しかったことなどをひっくるめて、何かしら強い思いや記憶と付き合いながら生きている。

不思議とその思いや記憶の背景に満開の桜をイメージすることがあるのではなかろうか。そのぐらい強烈な印象を残す花だからこそ、誰もが開花状況に一喜一憂する。

年寄り世代、若者世代それぞれに桜にちなんだ名曲が存在するのもその証だろう。なぜか人を感傷的にさせる作用があるから不思議だ。

去年は、山梨や長野方面で古代桜を見た。それ以前には吉野山を含む奈良周辺にも出かけた。今年は今のところ予定を立てていないので、追っかけながら北の方にでも行ってみようかと思う。

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