ある日の晩のこと。新橋で人と会っていたのだが、運良く7時半過ぎに解放された。仕事関係の話をこの時間までしていたら、たいてい「一杯行きまっか?」になるものだが、相手が体調不良とのこと。
ぶらぶら銀座まで歩いた。新橋で焼鳥でも食べてさっさと帰ればいいのに、なぜ銀座まで足を伸ばすのだろう。
銀座という街の魅力というか、魔力は、「現役でいることの実感」であり「この街に弾き出されるようにはなりたくない」という意識になることかもしれない。
やはり街の性格上、ボロボロ状態の人はやってこない。肩で風を切っている人はいまどきは少ないが、かといって沈没しちゃったような人はいない。
つまり、現役で闘っている人が醸し出す濃厚な空気がこの街の特徴だ。私にもその空気の中に身を置いておきたい、置き続けられるようでいたいという意識があるのだと思う。
実際に数年前、ひどく精神的に低迷していた時期には、銀座どころか繁華街と名がつくところには足が向かなかった。私の場合、弱っている時は、街が持っているエネルギーやパワーに押しつぶされそうになる。
だからこそ、ネオン街に行く気になれる時は、なんとか踏みとどまっている証なんだと思う。時には、気力を振り絞って街の空気に身を置くことは意外に大事だと思う。
さてさて、銀座をふらついた日のことだった。入りたかったおでん屋さんにふられ、そば割烹みたいな店には、1名様お断りと言われ、新店開拓でもしようかとぶらぶら。
新店開拓って意外とエネルギーを使うので、ちょっとバテ気味だった私はノンビリできそうな店に行くことにする。
鮨処・九谷を訪ねた。北海道直送の魚やお手製珍味が美味しい店だ。お一人様入店は二度目か三度目。あいにくカンターはほぼ満席、端っこの席が何とか空いていたので、ちまちまと酒を呑むことにする。
二番手さんが北海道に帰ってしまい、大将が一人で奮闘中。そうなると2人体制の時より、いろいろと劣化しそうなイメージがある。私自身、正直そんな想像をしていた。
ところが、手の込んだ仕込みを大将は頑張って続けており、単に素材の鮮度だけを売る店とは一線を画した仕事ぶりは健在。
ちょろちょろとツマミを食べながら呑んでいたが、一風変わった珍味が登場。自家製のちゃんじゃだ。邪道だとは思うが、焼酎を呑んでいる時には重宝する。
普通のちゃんじゃはタラの臓物とかで作られているが、こちらの店では、マコガレイが中心なんだとか。素直に美味しい。おまけにクリームチーズを添えて混ぜて食べさせる。邪道だろうが妙に美味しい。焼酎が進む。
画像手前はこれまた変な取り合わせ。でも酒の肴にバッチリ。納豆とシラス、高菜と大根おろしを混ぜ混ぜにしたツマミ。納豆嫌いな私が喜んで食べた。くどいトロを刺身で食べた後には抜群だ。
全長20センチほどの巨大ボタンエビもこの店のウリのひとつ。ミソの部分もたっぷり。身の甘みもたっぷり。幸せな味がする。黄金色のミソをトッピングした毛ガニの美味しさも安定している。この店ではたいていこれが食べられるのだから甲殻類好きには有難い。
そのほかにもアレコレつまんでから握りに移行。この日はシャコとアジが特筆モノだった。アジは、鮮度のよいまま昆布締めにされている。脂ののったアジの風味が程よく昆布の香りに包まれて実に丁寧な仕事ぶり。
味わいも優しい。定番のショウガではなく、普通にワサビで握る。おかわりしたほどウマかった。
シャコの握りも絶品。少し炙って温かい状態で握ってくれる。オスのシャコしか仕入れないというこだわりが憎い。世間一般の人気だけでなく実際の価格でも卵を抱えたメスのシャコが威張っているが、私は断然オス派だ。あのしっとり感は官能的。こちらもおかわりした。
大将はまだ30代後半。客が集中して一人でつけ場の作業に追われても、テンパッっている表情や動きは見せない。穏和な様子のまま、キチンと目配りしながら仕事を進める。なかなか出来ないことだと思う。
どんな仕事でも局面でも、慌てている姿ほど情けないものはない。内心はどんなに慌ても、その様子を悟らせずに落ち着いて対処することがスマートさの最たるものだと思う。
飲食関係の仕事に限った話ではない。予想外の展開になった時に、落ち着いた様子を保てるかどうかは大きなポイントだ。意識して「冷静、堂々」を継続している人は、それだけでデキる人に見える。実際にデキる人なんだろう。
一見すると堂々として冷静に見える人は多いが、多くがちょっとずれている人だったりする。
たいていは、ただの鈍感クン。ことの大事さに気付かずにボーとしているだけ。そういう「ニブさ」と「デキる」は大違いではある。
2009年5月27日水曜日
銀座の効能 九谷
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