2009年6月3日水曜日

館ひろし


先日、とある結婚披露宴で乾杯のスピーチを仰せつかった。適当にお茶を濁しちゃえという悪い考えも頭をよぎるが、当事者達にとっては一世一代の場面だ。ちゃんとそれっぽいことを言わねばならない。

乾杯の挨拶は、過去にも何度かやらされた。友人代表スピーチも随分とやらされた。割と人前で喋るのは経験豊富なほうなのだろうが、正直いつもうまくいかない。

書くことは仕事柄なんとかなるが、喋るのは苦手だ。過去にも柄にもなく講演会の講師を引き受けて白くなったことが何度かある。

大勢の人の目が一斉にこちらを見ていると思うだけで俄然緊張する。自意識過剰というわけではない。一人につき2つの目玉がこっちを見る。100人いれば目玉は200個だ。怖い。過去に500人ほどの会場で偉そうに喋る機会があったが実に目玉が1000個だ。卒倒しそうになった。

ラジオとかマイナーなテレビで何かしゃべらされたこともあるが、スタジオで大勢が見ているわけでもないのに結構冷汗をかく。どうにも得意になる気配はない。

結婚披露宴の場合、自分が喋る順番とか、自分の前に喋った人が固い路線だったのか、やわらか系だったのかでも、一応話のパターンを変えようと試みる。

会場のお客さんの年齢層や様子で喋る内容を変えるほど器用ではないが、一応、それなりにいじらしく考える。うまくはいかないが結構苦労しているわけだ。

褒めちぎればいいのか、くさせばいいのか、どちらも行き過ぎるとシャレにならないし、それなりに苦労する。

披露宴でのスピーチの思い出はいろいろある。なかでも印象的だったのが、古くからの友人が何度目かの結婚をした時の話だ。

割合、堅苦しい感じの宴席ではなかったので、私もそこそこヤワラカ系の話を喋った。会場のノリも良く、調子に乗ってアレコレ話をした。最後は新郎の父親をダシにシンミリ系の話でまとめ、珍しくうまくコトが運んだ。

意気揚々と私が席に戻ったタイミングで司会者が次の登壇者を紹介した。出てきたのは「館ひろし」だ。どう逆立ちしたって私より500倍くらい格好いい姿形で登場した「館ひろし」が低音のアノ声でささやく。

「こんばんは、館ひろしです」。

私だってまだ若かったし、喋っている間は、会場にいる“新婦友人”とかを意識して良からぬたくらみを抱いていたのだが、新婦友人達は「館ひろし」が出てきて、キャアとか言っている。

反則だろう。館ひろし。

会場にいた人にとって、その日の記憶や印象や思い出は100%まぎれもなく「館ひろし」だ。私の頑張りなど誰も覚えちゃいない。

その日、二次会の会場で、私とともに披露宴に出席していた友人からは「そういえばお前もなんか喋ってたな」と言われた。「館ひろし」が会場の空気をすべてさらっていった。

それ以降、披露宴などでスピーチを頼まれる際には、私は必ずこう聞くようになった。

「館ひろしは来るのかい?」。


さてさて、冠婚葬祭いろいろあれど、なんだかんだいって「婚」の場に呼ばれるのは嬉しい。笑っていればいいし、難しい顔を無理に作ることもない。幸せをお裾分けしてもらえるし、ついついアルコールも楽しく消費する。

最近は、私も人の親になったせいだろうか、新郎新婦の家族席が気になる。親御さんがどんな表情をしているのか、いつ泣き顔を見せてくれるのか、そんなことに興味が湧く。

今回出席した披露宴では、新婦の父親がジャズミュージシャンだったそうで、バンドメンバーを引き連れ何曲も演奏していた。

新郎新婦の家族といえば、たいていは会場の隅っこで小さくなっているが、そんな因習に必ずしもとらわれる必要はないと思う。どんどんオモテに出てきて騒いじゃっても一向に構わない気がする。

儀礼の場だから仕方ないが、一番親しい人達から順番にひな壇から遠い席に陣取る。本当は一番近くで晴れの姿を見ていたいはずなのにシステム上、なかなかこのスタイルは崩れない。

自分の娘が嫁ぐ頃までには、このシステムが崩壊していることを切に願っている。

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