作家の角田光代さんがとある雑誌のエッセイで傘の値段を面白おかしく考察していた。
モノの値段を考える時、昔と大きく変わったのが傘の値段という話だ。
確かにいつのまにか傘にも使い捨て感覚がつきまとうようになった。500円傘は当たり前、300円傘も珍しくない。おまけにコンビニをはじめそこら中で売っている。
昔、傘はもっと大層なものだった気がする。低価格商品の普及のせいなのか、コンビニが増殖したせいなのか、はたまた私自身が傘にこだわる洒落っ気をなくしたからだろうか。
少なくとも私にとって傘はいま貴重品ではない。ビニール傘が中心になっちゃったからだが消耗品的位置付け。そうなると自宅に温存してある上等な傘はますます出番がなくなる。
そんなことを考えながら私が思春期や若者時代に認識していたモノの値段が随分様変わりしているケースに気づいた。
ファーストフードには特にビックリだ。ハンバーガーが100円で食べられるし、シェイクなんて自販機のジュースより安い。牛丼も200円台で食べられる。
欠食児童だった中高生当時にこんな状態だったら、小遣いは間違いなくハンバーガーの大量摂取に消えたと思う。スーパー肥満太郎になっていただろうから当時の価格を良しとしたい。
喫茶店の値段も同様。100円とか200円でくつろげる店などなかった。高校生当時、友人達と放課後の喫茶店通いが日課だったのだが、日々必要な“サテン代”に苦しんだ記憶がある。
なんとか悪友達もやりくりしていたが、そうはいってもバイト禁止の高校生だ。さすがに連日の喫茶店代捻出はキツイ。
私が通った学校は、学食利用でも弁当持参でもどちらでも良かったので、多くの場合、親からもらう学食代を温存して喫茶店代に充てていた。
昼休み前に弁当組の友人が席を外しているスキに人の弁当を盗み食いして空腹をしのいだこともある。いまさら反省しても遅いが最低だ。その弁当を子どものために一生懸命作っていた母親の気持ちを思うと胸が痛む。
どうして若い頃ってあんなに非道になれたのだろう。。。
浮かせた学食代で喫茶店に行くのだが、300円は最低限必要だった。渋谷あたりの洒落た店だともっと高かった。30年近く前の話だ。いまより確実にコスト高だった気がする。
あの頃、思い返せばポイント制度みたいなシステムもなかった。家電量販店とかのポイント還元などは夢のまた夢。随分と進化したものだ。
1000円カットの床屋もいつのまにかゴロゴロある。合理的で安価なものこそ美徳という風潮が強まるとともにどんな分野でも価格破壊が起きている。
激安とか量販という概念は20年、30年前だってあったが、いまほど一般人の生活に浸透していなかった気がする。確実に今よりもムダに高いモノが多かった気がする。
100円ショップがなかったことも大きい。雑貨ひとつ買うにも当時はそこそこな出費が必要だったので結構慎重だった。いまは雑な買い物を平気でしてしまう。
唐突だが、女性のハダカを拝見?するのも今より確実に高価だった気がする。
私は行ってませんけど、当時ハヤリ始めたノーパン喫茶とかのコーヒー代は平気で2千円ぐらいの設定だった気がする。
行ってませんけど、「ノゾキ部屋」とかいうジャンルの店があった。半畳ほどの個室に入れられてノゾキ穴から向こうの広い部屋を見るとライオンみたいな髪型のオバサンが服を着たり脱いだりしている。それだけ。それでも3千円ぐらい取られたような気がする。
行ってませんけど、いまは10分1000円とかのおさわりパブがあるらしい。つくづく若者時代にそんなものがなくて良かったと思う。
行ってませんけど、一般的に“ヌキ系”と呼ばれる風俗営業店もお試し価格とかそういうキャンペーンを利用すると5千円ぐらいで済むらしい。つくづく若者時代には価格破壊が起きていなかったことに安堵する。
してませんけど、援助交際という名の少女売春も“相場”が大暴落しているらしい。単純に考えてプロが業務として管理していないなら、安易な値下げによる暴落は当然だろう。なんともビミョーな話だ。
その昔、そっち方面のお遊びが格安だったら、バカな若者だった私は結構ひんぱんに行っちゃった気がする。いまどきの若者はソッチ方面がお手軽で実にうらやましい。
エロ系に限らず、価格が崩れたものは身のまわりに相当ありそうだが、極端な低価格志向って少し気持ち悪くもある。
20年、30年前には想像もしなかったネット社会まっただ中。ネットオークションをマメにチェックすれば欲しいものは格安で手に入る。
新品の定番商品的なものは楽天あたりのショッピングサイトで実売価格が低い順に一覧表示される。消費者にとっては便利な時代だ。
ところで、低価格志向とは別に高級品には高級品の市場価値がある。ネットショッピングなどでもホンモノの一級品が格安で買えるケースは少ない。
ただ、ヤフーのオークションなんかを定点観測すると良く分かるが、需要と供給のバランスが崩れればそこそこの高級品の価格はすぐに崩壊する。そういう時代なんだと思う。
一方で、ネット社会だからこそホンモノの一級品の市場価値も浮き彫りになる。1円スタートのオークションだろうが、最終的には常識的価格で決着する。
以前、とある陶器の花入れをオークションサイトで見つけ、添付写真をじっくり観察すると、分かる人には分かる著名陶芸家の作品であることが判明。
出品者はどうやらその認識がない様子。他の出品物は日用品ばかりで陶器などはない。商品説明も実に素っ気ない。スタート価格も格安。こりゃひょっとして掘り出し物が買えるぞとばかりに落札する気満々でチェックしていた。
オークションの終了期限が近づいた途端、面白いように入札の嵐。どんどん価格が跳ね上がる。最後はウン十万円というその作家の作品の適正価格で終了。
1000円スタートだった商品だ。出品者はたまげただろうが、虎視眈々とチェックしていた人が大勢いたわけだ。消費者の眼力ってそんなものかもしれない。
どんなジャンルだろうと、販売価格、再販価格に生産者側が制限を儲けても、市場側がその値段に価値を見出さなければ、たちどころに適正価格への引下げを余儀なくされる。
デパートのいいなりで高い買い物をさせられていた時代とは確実に様変わりしている。デパートの凋落は一種の必然だろう。
なんかまとまりがなくなってきた。何を書きたかったのか良く分からなくなってきた。ご容赦。
2009年7月22日水曜日
モノの値段
ラベル: 世相
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