2012年8月17日金曜日

一人暮らし

ここしばらく一人暮らしをしている。

家族が長期で旅行に行ったのが理由だ。一応、まだ逃げられたり、捨てられたわけではない。

実に爽やかな日々だ。もう少し寂しい感覚に陥らないといけないらしいのだが、日々熟睡できるし、すこぶる快適である。

もともと自宅で食事を摂る機会も滅多に無かったので、不都合はないし、クリーニング屋さんは不在でも回収・配達をしてくれる。寝る時ぐらいしか帰らないから家が汚れることもない。

ちっとも不便じゃない。男の場合、寂しさとか不便を感じないと家族の必要性に気づかないらしいから、今の私は実にビミョーな感じだ。

毎週お見合いを繰り返している幼なじみがいるのだが、ナゼいまさらイバラの道を選ぼうとするのだろう。もったいない気がする。ひょっとすると偉大な求道者なのかもしれない。幸運を祈りたい。

まあ、人間なんて誰もが「隣の芝生」を見ながら生きているから、正解などどこにもないのだろう。人生すべてがバクチみたいなものだ。

さて、一人暮らしの話だった。

社会人になっても実家暮らしだった私が初めて一人暮らしをしたのは24歳の時だった。

仕事が忙しかったこともあって、会社から遠くないマンションを借りた。

あの時の解放感は今でも覚えている。何でも揃っている実家に比べれば、不便極まりなかったが、「我が城」みたいな気分の高まりは強烈だった。初めて月に降り立った宇宙飛行士の高揚感と同じだろう。大げさでスイマセン。

実家の有り難さを切々と感じたのも一人暮らしのおかげだ。トイレに入って紙がないことに気付いたり、カップラーメンを食べようにも箸すらなかったりすると、実家の存在自体がドラえもんのポケットに感じた。

その後、実家に行って、ありとあらゆる日常雑貨をクルマに乗せきれないほどパクってきたことも懐かしい思い出だ。

熱を出して寝込んだ時なんかは、一人暮らしのわびしさを感じたが、そうは言っても、優しく看病してもらえないなら、誰かがいるより一人でヒーヒー言っているほうが気がラクだったりする。

その後、結婚して離婚して小さいながらも一戸建てに一人で暮らしていた時期もある。あの時も一人になった理由が理由だったので解放感に浸って不便は感じなかった。

気分一新とばかりにリビングのカーテンを全部イルカの柄に変えて「何じゃこりゃ」状態になったのも懐かしい。お盛んな年頃だったので、隣近所の人には、いろいろな女性の出入りを不審に思われていたかもしれない。

一人暮らしの良い点は、散らかし放題に出来ることと裸族で過ごせること、いろいろとやりっ放しにしておけることだ。後々自分の身にしっぺ返しは来るのだが、あの放埒の快感は捨てがたい。

ゴキブリ登場という有事の際には、いちいち誰かと結婚したくなった。虫が苦手な私にとってアイツを退治するのは命懸けである。ビビって血圧が200ぐらいにになる中、逃してなるものかと必死になって格闘する。

闘い済んでヤツの残骸を前に立ちすくむこと数時間。なかなか処分できない。せめて誰かと婚約しようかと切に思った瞬間だ。恨みと共にヤツが生き返るような気がして手が出せない。目もそらせない。

といっても放置は出来ずに意を決して、割り箸をセロテープでつないで長い棒にして、その先にセロテープなどを装着。これで遠くからでもヤツを貼り付けて動かす。窓から隣地に遺体だけを振り落としたりしていた。

この8月、まだまだ一人で過ごす時間は多いので、ゴキブリとの遭遇だけは避けたい。キッチンや冷蔵庫の周囲にはなるべく近づかず、自分の部屋の中だけにいるようにしている。

狭くはない家なのだが、ここ最近家にいる時は6畳程度の自分の部屋だけに籠もっている。余ったスペースを一時的にでも誰かに貸せれば小遣い稼ぎになりそうだが、その人が色っぽい後家さんだったりすると厄介なので我慢の日々だ。

やはり一人暮らしは適度なサイズの家に限る。

悲観的観測なのか、希望的観測なのか微妙だが、将来、というか老後はきっと偏屈な一人暮らしジジイになるような気がする。

その時の夢は和洋折衷の平屋に住むことだ。20畳ぐらいのリビングと8畳ぐらいの寝室と四畳半ぐらいの書斎、ついでに熱燗をすするための和室があって、純和風の風呂と大きめの物置部屋だけが配置されている家だ。

和室の端には縁側があって小さいながらも庭には池。鹿威しがコンとか響いて、桜の頃にハラハラ落ちる花びらを愛でながら静かに往生する。

うーん、悪くない。

なんか話が支離滅裂になってきたのでこの辺で。

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