飲食店の問題点を舌鋒鋭く指摘するのはスマートなことではない。誉める分には問題ないが、ちょこっと食べた体験だけで悪口を書き殴ったりするのは反則だろう。
とか言いながら、ついつい文句を言いたくなるタイプの店がある。文句というか、背を向けたくなるタイプの店だ。
「寿司・うなぎ」とか「天ぷら・焼鳥」とか、同じ看板にジャンルの違う専門料理を謳っているタイプの店だ。
居酒屋とか食堂みたいな路線なら不自然ではないが、それっぽい専門店みたいな店構えで、「異種格闘技」みたいな看板を掲げていると、どうしても中途半端な仕事ぶりを想像してしまう。
以前、旅先で「カレー・寿司」と書かれている看板を見たことがある。遠目からは「カレー寿司」に見えたのでビビった記憶がある。
お店の都合や事情もあるだろうから、看板料理に何を掲げようと他人がとやかく言うことではない。そんなことは百も承知だが、「カレー・寿司」の店はちょっと不気味だ。
まあ、あくまで個人的な思い込みである。こんなことを書いていながら、以前「焼鳥・寿司」の両方を看板に掲げる店にハマって何度か通ったことがある。
都内西部の某繁華街にあった店なのだが、門構えも立派で、キャパも広め、地元の人には結構知られた店だった。驚くべきことに寿司も焼鳥もマトモでウマかった。それぞれ、ちゃんとした職人が仕事をしている正統な感じ。まさに目からウロコだった。
さて、本題に入ろう。四の五の書いてみたが、どっちつかずの店よりも「専門店の矜持」みたいな雰囲気はやはり客としても有難い感じがする。
土用の丑の日に、普段はウナギを扱わないような日本料理店が、ここぞとばかりにウナギの看板を出したりするのは何となく好きではない。
ウナギが食べたければ、ウナギ一筋に精魂込めている店のほうに足を運びたくなる。
秋葉原に程近い「明神下神田川」にウナギを食べに行った際に注文した「うざく」と「う巻き」だ。ウナギの名店といわれる店の多くが、ウナギ以外にサイドメニューが無いから不便で仕方がない。用意されていても、せいぜいこの二つぐらいだ。
あくまで鰻重がやってくるまでの露払いのような役割だ。チビチビ酒を飲む際のお供である。
この店は、昔ながらの古い家屋が特徴だ。昭和レトロというか、ただの遺物というか、要は古めかしさがウリだ。悪くない。
ジャズを流すようなモダンなウナギ屋には興味がない私としては、こういう風情の中で人生を噛みしめながらウナギを味わうのが大好きだ。
「古い建物がウリの専門店」といえば、江東区森下にある「みの家」も独特だ。先日、10年ぶりぐらいに訪ねたのだが、10年程度では以前来た時とまったく雰囲気が変わっていなかった。
タイムスリップしたような感じだ。いや、時間が昭和40年代ぐらいで止まったままになっている雰囲気。
この店は馬肉専門店。桜鍋の老舗だ。下足番がいて、昔ながらの設えの広間で、あぐらをかきながら鍋を突つくスタイル。
気取りとは無縁の店だが、いまどきの外食事情の中では決して安い店ではない。若者が気軽に満腹になるのは難しい価格設定だろう。でも特製味噌と甘い割り下で食べる馬肉は問答無用にウマい。
カロリーは牛や豚よりも遙かに低く、おまけに精力アップにもってこいなのだから、夏バテで疲れた大人こそ通うべき店だろう。
タテガミの刺身をつまみにキュッといっぱい引っかけて、ぐつぐつ煮える鍋にさっと肉を通し、まだピンク色ぐらいの加減で生卵にべちょっとつけてハフハフモグモグする時間はこの上なく幸せだ。
格好良く気取った店が主流の東京で、ある意味、どっしりとホンモノっぽい東京の雰囲気が味わえる店だ。
さきほど書いた「明神下神田川」にしても「みの家」にしても、古めかしい建物自体をウリにして、昔から同じ仕事を粛々と続けていることがお店のウリになっている。実に羨ましい。
実は私の職場も半世紀以上の歴史を持つ自社ビルである。近隣ではウチの会社はレトロビルとか言われたりする。
仕事も専門分野を長年極めているのだが、飲食店とは違うから「建物が古い」、「同じ仕事を続けている」ということが、お客様の支持を集めることにはならない。「古めかしい会社」などという表現はちっともアドバンテージにはならない。
うーん、実に微妙だ。建物の古さが仕事上の武器になるはずもなく、地震の時にはビビるだけだ。困ったものだ。
おっといけない。話がそれてしまった。
まあいいか。どうせだから遺物みたいなレトロな建物の専門料理店を食べ歩くことを趣味にしようかと考えている。
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