俗に「失われた20年」などと言われるように、近年の経済事情は良くも悪くもこの国の消費の在り方を大きく変えた。
キーワードは言うまでもなくデフレ。モノの値段はすべての分野で下方修正され、「安さこそ正義」みたいな感覚が無条件で信奉されるようになった。
消費者にとっては、安値競争は有り難い話である。身銭を切るなら安い方がいい。極めて当然のことだ。
その大前提は大前提として、「安さこそ正義」によって置き去りにされてしまったこともある。「本当に良いモノが安いはずはない」という真理だろう。
限界まで来た安値競争は、商品なりサービスに無理を生じさせる。「安物買いの銭失い」という一面の真実を突きつけられる場面も多い。
先日、わがオヤジバンドの練習中、2本のアコースティックギターを漠然と聴いていた。楽器に縁のない私でも片方のギターの音色がもう片方のギターより遙かに優れていたのが分かった。値段を尋ねてみたら雲泥の差だという。
なんか抽象的な例えだが、そういうことだ。大げさな話ではなく、身の回りにいくらでもそんな例は見つかる。
安値絶対主義がもたらしたことの一つが「節約疲れ」である。モノの本質を二の次にして値段だけを価値基準にしてきた結果、虚しさのような寂しい風が心の中に吹き抜ける。
心の豊かさとは対極のギスギス感ばかりが目立ってしまうことになる。
豊かさと言っても、不必要な贅沢を意味するわけではない。商品やサービスに対する安心、信頼、充足感といった感覚が満たされるだけで豊かな気分になれる。
当たり前と言えば当たり前だが、その当たり前の大事さに改めて気付いたことで、すべての分野で「本物志向も大事」という風潮が広がりつつある。
マックが1000円バーガーを登場させたり、スタバも高級路線の店舗を開設したり、安さがウリだった寿司チェーンが価格帯を高めに設定した別路線の店を出したり。そんな話がしょっちゅう聞かれるようになった。
老舗洋食器メーカーが安値競争に背を向けて実用品よりも美術品路線を重視するとか、ランドセルも高級志向が人気を呼んでいるとか、他にもビールや家電製品も「本格化」の名の下に高級商品が開発されている。
コンビニのプライベートブランドだって安さより質を重視する商品が増えてきた。
見かけ倒しのインチキ高級品はゴメンだが、然るべきものの然るべき高級化は大いに結構なことだと思う。
安さをとことん追い求めることも必要だ。それを否定する気はないが、ホンモノがホンモノとして存在し続けることは何より大事だ。
職人技に代表される伝統や、はたまた文化を守るという意味でもこの部分を忘れてはいけないと思う。
正当な高級路線は低価格需要とは別個に評価されるべき。衣食住すべてのジャンルにおいて、文化的、芸術的な要素が絡めば、闇雲な安値競争は質の低下を招くだけだ。
四の五の書いてきたが、言いたいことはここから先にまとめてみる。
文化芸術の分野で必要なのは、いわゆるお大尽である。古今東西、お金持ちの支援が後世に残る文化や芸術の源になった。
「本当に良いモノ」を大事に育てるにはお金持ちへのリスペクトが前提になる。稼ぐこと、お金持ちでいることが悪であるかのような風潮に支配される税制・財政政策の盲点はここにある。
無思想な横並び絶対主義や成功者の足を引っ張る卑屈なやっかみ社会の行末は暗い。社会の活性化において、メリハリは欠かせない要素だ。
極めて単純な理屈だと思う。
2013年9月11日水曜日
モノの価値
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