今更ながら語学に真面目に取り組まなかった若い頃を悔やんでいる。先日のオリンピック招致プレゼンを眺めながら痛感した。
とくにフランス語だ。私が通った学校では幼稚園からフランス語を習わされた。おかげで今でもフランス国家をさらっと歌えるのだが、肝心の会話はサッパリである。
オリンピック・プレゼンの高円宮妃殿下と滝川クリステルのフランス語スピーチを一生懸命聴いてみた。でも理解できたのは「メルシー」と「オ・モ・テ・ナ・シ」ぐらいだ。
小学校時代は学校の授業について行くため、6年間ずっとフランス語の家庭教師がついていた。そのせいもあって、苦手意識もなくそれなりの成績を残せていた。
小学校6年の頃にはフランス語で1から100まで普通に数えられたし、唱歌のようなものも無数に歌えた。多分、2歳児くらいの会話能力もあったと思う。
中学になり、英語も勉強しなければならなくなり、世間で耳にすることのないフランス語が二の次になった。先生も嫌いだったし、小学生時代の努力はすっかり水の泡になった。
高校では英語かフランス語を第一外国語に選ばされるのだが、ここで完全にフランス語を捨ててしまった。
第一外国語にフランス語を選んだ連中は、その後の大学受験でも優秀な結果を残した。敵が少ないのだから英語より有利だったのだろう。
高校の卒業式にはナゼかフランス大使が来賓でやってきて、四の五のスピーチするのだが、フランス語組の連中は、通訳が訳す前にうなずいたり、笑ったりしていた。
そんな光景を見て、自分の刺激にすれば良かったのに、ただムカついていただけだった。若さイコール間抜けである。
十代のあの時点で既に人生の選択肢?を間違えていたような気がする。
小学校から同じ学校に通った俳優の香川照之はフランス語組の秀才だったから、カンヌ映画祭の壇上でもフランス語でスピーチしてヤンヤの喝采を浴びたらしい。
身近すぎて価値に気付かなかったフランス語がオッサンになった時に武器になるとは。。。子供の頃にそれを知っていれば私の人生も違ったものになっていたのかもしれない。
まいった、まいった。
以前、パリに靴を買いに行ったときも、道を尋ねる程度のごく簡単な質問を怪しげなフランス語で投げかけてみたのだが、返ってくる答えも当然フランス語である。チンプンカンプンである。しかたなく「メルスィ~、ボック~」とひきつった笑顔を見せるしかなかった。
いまからでも必死に勉強すれば5年後ぐらいには簡単な会話ぐらい出来るはずだ。ブツクサ言わずにやればいいのに、ここでウジウジしているだけだからダメだ。
20代の頃、メキシコのリゾートにはまって何度も出かけた。あそこはスペン語圏である。スペイン語のリズム感とか、フランス語より発音しやすい独特な音感が気にいって、勉強しようかと真剣に考えた。
あの時、実行していれば人生に彩りが加わっていたはずだ。後悔先に立たずである。そんなのばっかりである。
その後もバリ島にハマったせいで、インドネシア語会話を習おうと、一念発起して、留学生を家庭教師として派遣するよう某大学に相談したことがある。あの時も都合の合う相手が見つからず流れてしまった。
実にツメが甘い。真剣味が足りない。私の人生そのもの?である。
人生も後半戦に入って、悔いばかり頭に浮かぶ。いや、そんなヒマがあったら新しいことにトライすべきなのに、何も始めていない。
ダメダメである。
いかんいかん。書いていて何だか憂鬱になってきた。
そういえば、陶芸家になろうと密かに決意したのは10年前だったし、沖縄の三線を本格的に始めようと決意したのは15年前である。
どれも真面目に始めていれば結構なキャリアを積んでいたはずなのに、妄想しただけで今を迎えてしまった。
困った困った。
仕方がないから、東京オリンピックに照準を合わせて何かを始めるとしようか。審判とか審査員で潜り込めそうな競技はないだろうか。
そんなフシダラなことを考えているから進歩がないのだろう。
そんなこんなで漫然と日々は過ぎ、来月になればまた一つ年を重ねる。
困った困った。散歩でもしてこようっと。
2013年9月13日金曜日
語学と後悔
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