時々、夜の道を歩きながら月を眺める。
別にセンチな気分になったり、ロマンチストを気取るわけではない。ふと月が目に入ると意味もなくボケっと眺めてしまう。
その昔、月を見つめることが不吉と思われていた時代があったそうだ。平安貴族などは水面や杯に映した月を愛でたらしい。
ちょっと分かる気がする。
怪しげな月の光には人知を越えた力がある。吸い込まれそうな不思議な気分になる。
もう20年以上前に、「月の魔力」という本を読んだ。月をめぐる不思議なエピソードや具体的なデータが網羅された面白い一冊だった。
人間の身体は大半が水分で出来ているから、潮の干満と同じく、月の満ち欠けでさまざまな影響が出ることはよく知られている。
本の中で客観的なデータとともに紹介されていたのは、満月の夜に凶悪事件が起きやすいとか、狼男伝説も満月の夜に急に体毛が伸びた事例が起源になっているとか、実に興味深い話だった。
月見と言えば満月である。平安時代の人々が、直接月を見ないようにしていたことも理にかなっていたのかもしれない。
人工的な灯りが街中を照らす今の時代と違って、昔の人は自然との関係が濃密だったから、月への想いとか畏怖も想像以上に強かったのだろう。
ネオンなんかまったくない時代に、中秋の名月を見たら、かぐや姫伝説が生まれるのも当然だと思う。
ちなみに今月は明日が満月である。
満月の日には、感情が不安定になりやすいそうだ。大事なデートの予定がある人は延期をオススメする。
さてさて、月と言えば秋が代名詞だが、春の月もなかなか趣がある。
「朧月」。おぼろ月である。ボンヤリかすんでいる状態が「おぼろ」である。春は空気中の水分が多いから、月の光も潤んだように見えるらしい。
それなりに情緒があって悪くない。生暖かくなった今の季節、見晴らしの良い場所でボンヤリと月を眺めるのも一興だと思う。
冒頭に載せた画像は、何年か前に網走で見た月だ。
午後の遅い時間だった。流氷を見に岬に向かってクルマを走らせていた時に、やけに神秘的だったので思わず見とれてしまった。
月の表情は季節や場所で随分と変わる。この写真は函館の初夏である。津軽海峡に浮かぶイカ釣り船の漁り火を月が見学しているような光景だ。
携帯電話のカメラでもそれっぽく撮影できたぐらい空も海も明るかったことが印象的だった。
こちらはバリ島のリゾートにて。ビーチ沿いのレストランは月灯りが最高の装飾になっていた。昼間の灼熱ぶりと好対照な優しい光のトーンが綺麗だったから、頑張って一眼レフを手持ちで撮影した。
バルセロナの海に浮かんでいた三日月は、スマホで必死に撮ってみた。イマドキのスマホはなかなか頑張ってくれる。
もともと、月を撮影する趣味はないのだが、印象的な月が目に入るとついついシャッターを押したくなる。
本格的に月の撮影方法を研究して、新たな趣味にすれば結構楽しいかもしれない。
そうはいっても、神秘的な月に出会えたら、カメラをいじくり回しているより、肉眼でしっかり愛でたほうが健全な気もする。
なんだか話がまとまらなくなってきた。
ちなみに、やたらめったら願望が多い私だが、以前から憧れているもののひとつがナイトレインボーと呼ばれる夜の虹だ。
南太平洋やハワイ、日本でも石垣島とか屋久島あたりで見られるという究極の神秘的光景である。
満月前後の強い月の灯りが「地上における最高の祝福」と言われる現象を引き起こすそうだ。
死ぬ前に一度でいいから見てみたいものである。
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