2014年4月2日水曜日

神経質VS無器用

春の陽気は窓を開け放ちたくなる陽気である。有り難いことに花粉症の気配もまったく無いので、週末などは、網戸越しにチュンチュン鳥が鳴いているのを格好のBGMにしている。

そんな陽気だとマメに部屋を綺麗にしたくなるから不思議だ。室内の掃除だけでなく、布団を干したり、アチコチ雑巾で拭いてみたり、結構真面目に取り組んでいる。

綺麗好きという言葉とは無縁だった若者の頃が懐かしい。20代の一人暮らしの時は、室内を歩くだけで綿ボコリが舞っていた。

水回りもカビだらけだったし、だいたい、換気という概念自体が無かった。洗い物も面倒だから紙皿を使ってそのまま捨てていた。

紙皿じゃない安物の皿を使うこともあったが、洗いそびれてガビガビになるまで放置して、結局捨てちゃったりした。しまいには自宅から食器が無くなって難儀したほどだ。

掃除はしない、洗い物はしない、換気はしない・・・。あの頃、きっと室内空気の汚染度は相当なものだったと思う。

おそらく、当時の鍛錬?のおかげで、中年になった今でも、空気が悪い場所で咳き込んだり、ツラい思いをすることが無いのだろう。

若い頃の苦労は買ってでもしろ、というが、若い頃の不摂生はオトナになってから活きてくるのかもしれない。

さて、今の一人暮らしになってから、割と綺麗好きに変身した。この年になって汚い住まいに暮らすのは侘びしい。なかば意地になってキチンとしている。

ということで、引っ越しまもなく勇んで「ルンバ」を購入した。お掃除ロボットである。

ところが、最近はルンバ様の出番が激減してしまった。

私の性癖なのだろうか、どうも、動き回るルンバを追いかけてしまう。おまけにヤツが働きやすいように、椅子をテーブルの上に載せたり、床に置いてあるものを整理したり妙に慌ただしい。

「ルンちゃん、そっちじゃないよ~」とか声をかけてしまったことも数知れない・・・。

そんな自分が切な過ぎるので、今では「クイックルワイパー」と「コロコロ」で完結することが多くなった。いつかルンバがシビレを切らして勝手に暴走するんじゃないかと不安な日々である。

普通の掃除機だと、フィルターの手入れがイヤだ。その点、クイックルワイパーとコロコロだと、その場で汚れた吸着面が捨てられるから気分が良い。

実は、両方とも今のマンションで一人暮らしを始めるまでは使ったことはなかった。何となく存在は知っていたが、いざ使ってみたら大興奮状態だった。

楽しい。その一言である。目に見えて汚れが取れて、そのままポイッと捨てられる便利さが素敵である。

洗面台や浴室入口の足下マットは、コロコロに任せるのが確実だ。実際に強力掃除機と比べてみたが、コロコロのほうが優秀だった。

今のマンションは80平米弱の2SLDKである。一部屋は荷物部屋にしているから実質的には1LDKだ。この程度なら掃除も苦にならない。

もっと広い住まいへの引っ越しを考えているが、掃除を考えると二の足を踏む。どうしたもんだろう。

話を戻す。

風呂場のカビ予防に役立つ煙幕みたいな商品も愛用している。バルサンみたいに少量の水を加えることで筒状の缶から煙がモクモク湧き出るヤツだ。

1ヶ月に一度で充分らしいが、そこは富豪である。半月に一度は利用している。効果はそれなりにあるようで風呂掃除が格段にラクになった。

掃除だけではない。今では食事のあと、間髪おかずに洗い物も終わらせてしまうクセがついた。良いことだが、何となく自分が神経質野郎になっていくようで少し不安である。

家事全般について、知らぬ間に自分の流儀が確立されてきてしまった。男の場合、こだわり出すとキリがない。専業主婦のようにうまく手を抜くことを覚えずに一生懸命に努力してしまう。

ちょっとヤバいのではないか。

気付けば週末の行動がパターン化してきてしまった。どんなに疲れていても、どんなに二日酔いがヒドくても、自分流の家事に精を出す。

人として正しいのかもしれないが、こんなことに真剣になっていると、ゆくゆくは意固地な偏屈ジジイになりそうである。

ということで、最近はインターネットで家政婦サービスとかの情報を集めるようになってきた。

何でも自分で出来てしまうのは良いことだと思う。ただ、度を過ぎると、誰かに頼ってみたり、誰かと一緒にいたいという感情さえ消滅しちゃうかもしれない。

社会性の欠落した仙人みたいな老後になるのは困りものである。やはり「無器用な男」でいたほうが人様への感謝とか有り難みが感じられるはずである。

まだまだ朽ち果てずに色恋の10や20はこなしたい?から、自分自身のためにも「なんにも出来ない母性本能をくすぐる男」を目指してみようかと思う。

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