「夜のお菓子」といえば「うなぎパイ」である。子供の頃、そのセクシーなキャッチフレーズに動揺した覚えがある。
「夜の〇〇」、「オトナの〇〇」といえば、どこかセクシーな響きがある。
「オトナの夜の〇〇」などと言われると赤面する準備をしたくなる。
始めから話が変な方向に行ってしまった・・・。
今日書きたかったのは「夜の街」についてである。といってもセクシーな話ではない。エロ話を期待させてスイマセン。
私にとって「夜の街」のイメージは「おでん」である。しょっちゅう行くわけではないのに「おでん屋さん=大人の夜の世界」である。
お寿司屋さんや焼鳥屋さん、はたまた大衆酒場や銀座のクラブのほうが出没率は高いのに、たまにしか行かないおでん屋さんに特別な思い入れがある。
実は私はおでんが嫌いだ。野菜が多いし、匂いも独特だし、子供の頃は実家で作られていたおでんを家族の中でただ一人食べなかったぐらい苦手である。
それなのに思い入れがあるのは、若い頃に「しっぽりしたおでん屋で静かに熱燗を楽しむ大人の男」に憧れたからだ。
おでん屋さんならどこでもいいわけではない。そこらへんの駅前にある大衆店ではダメ、洒落た造りでジャズをBGMに流すような店もダメである。
敷居が高そうに見えて、馴染んでしまえば居心地が良く、若い客は見当たらず、真っ当な料理も出すからそこそこの予算は必要・・・。そんな感じの店に憧れた。
おでん自体が嫌いなのにそんな店で一献傾ける姿に憧れたこと自体が若造独特のバカっぽさ丸出しである。でも、そんなバカっぽさの積み重ねが大事なのも事実である。
30代後半だっただろうか。青春時代は過ぎ去っていたが、中高年という分類にはちょっと早かった頃だ。
薄汚れたオッサンにはなりたくはない。かといって、「レオン」を必死で読むような若ぶったイタいオヤジになるのもゴメンだ。適度に落ち着きのあるこなれた?オジサマへの道を模索していた時代である。
勝手な思い込みなのだが、フレンチやイタリアンに詳しい大人よりも、凜とした料理屋にしっぽり溶け込んでいる大人のほうがカッコいいと感じていた。
そんな偏った発想の行き着く先が「ちょっと入りにくい銀座あたりのおでん屋」だったわけだ。
いろいろな店を覗いてきたが、いまも時々出向くのは6丁目の「おぐ羅」と7丁目の「力」だ。いずれも普通に居心地の良い店だが、知らないと敷居が高そうに感じる店構えだ。
私の場合、「おでん」は目的ではない。嫌いなんだからしょうがない。充実した一品料理をツマミにウマい酒を飲むことが目的だ。「おでん屋」というのは一種の舞台装置でしかない。
先日、久しぶりに覗いた「力」は、昭和っぽい雰囲気がプンプンの店。おでん以外のメニューも豊富なのが嬉しい。この画像はシチューでもカレーでもなく、ミソベースのタレをまとった牛すじ土手焼きである。
イカ墨をベースにした真っ黒い塩辛や大根おろしを大量に載っけたアジの炙りタタキなどをツマミに心地良く酔っ払う。
おでん屋さんでは日本酒というのが基本パターンだが、焼酎を飲みたい気分の時はそれに見合ったツマミもアレコレ揃っているから有難い。
カニの甲羅揚げやらクジラベーコンを肴にグビグビすれば、アッという間に極楽にたどりつく。
一応、おでんも注文するが、トウモロコシやタコ串あたりを選ぶ。野菜攻撃を避けるのが私流である。子供みたいである。
「凜とした空気を漂わせるこなれたオジサマ」に憧れていた私だが、この手の店で酔っぱらってくると自分がそういう人間になれたような勘違いができて実に楽しい。
鶴田浩二か高倉健にでもなったかのようなニヒルな顔を作ったりして心地良く過ごす。バカである。バカが酒を飲むと更にバカになる。でも幸せである。
なんだか意味不明なオチになってしまった。いずれにせよ、おでん屋で酒をひっかけている時の私は、ただおでんが好きで店に通っている人とは異質な高揚感を楽しんでいる。
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