今年はやたらと「不倫騒動」がマスコミを賑わせている。皆様お元気である。文枝師匠も円楽師匠も結構な年齢なのに現役バリバリだ。素直に大したものだと思う。
変な感心はさておき、マスコミのお祭り騒ぎは何だか鬱陶しい。コメンテーターとかの正論も鬱陶しい。
不倫だか浮気だか知らないが、他人には関係ない話である。有名人は一種の有名税としてマスコミの餌食になるのだろうが、無関係の他人がことさら正義感ぶって糾弾するほどのことだろうか。
ネットの世界特有の「不謹慎狩り」ムーブメント?がヨソの夫婦の下半身事情にまで及んでいるわけだ。
子供の頃、いい子ちゃんぶって先生に告げ口するヤツはたいてい嫌われ者だった。世間にはびこる不謹慎狩りに精を出す面々や、ここそとばかりに大袈裟に正論を振りかざしたがる面々も似たようなものだろう。
退屈な日常に鬱々している人々が、単なる発散のために、半分思いつきのようなどうでもいい正論を振りかざす――。なんだかイヤな感じだ。
暗黙の了解事や大らかさといった概念が世間の片隅に追いやられたような空気が漂う。「アラ探し社会」といったところか。
「オイオイ、そりゃあマズいよ。でもまあ、そういうこともあるよなあ」。
極端にいえば、世の中ってもともとそんなふうに回っているものだと思う。当事者は別として第三者だったらそれで済む話だ。
もちろん、凶悪事件は論外だが、ちょっとした脱線や悪ふざけは、煩悩の塊である人間が生きていく上では珍しいことではない。関係ない人がカリカリしたってしょうがない。
不倫も同じだ。そりゃあ褒められた行為ではないが、結構な割合の人がきっかけさえあれば陥ってしまう可能性はある。
誰かに好意を寄せる。それが恋心になる。頭と心は完全に一致するわけではないから時にはそんな事故も起きる。
そんな綺麗なパターンだけでなく、単に生理的欲求に負けちゃうこともある。
既婚者だって男であり女である。教科書的に生きていければ結構なことだが、なかなか簡単なことではない。
夫婦だからといって、修復不可能なほど冷え切った関係なのに仮面状態を続けることが立派なことだとは思えない。
メンタルが弱かったらダメージで病気になってもおかしくない。大げさではなく死んでしまう。命がけでそんな状態を続ける必要はない。
それに比べれば、煩悩に負けて婚外恋愛してしまう人の方が人間的かもしれない。
こんなことを書くと不謹慎だと糾弾されそうだが、家庭の状態はそれぞれ違う。家庭の実情によっては、夫婦のいずれかが婚外恋愛に救いを求めることを頭ごなしに全否定できない。
ちなみに私自身の離婚原因は不倫や不貞行為ではない。協議の場でもその類いの話はまったく出なかったので、今日書いている話は決して自己弁護などではない!
ちょっと力説してしまった。
さてさて、不倫と浮気って何が違うのだろう。明確な定義があるのだろうか。謎だ。
法律用語には「不貞行為」しか存在しない。不倫も浮気も単なる俗語である。
不貞という言葉はなかなかインパクトがある。「配偶者以外との性交渉」を指す言葉だから、単にデートするだけなら不貞ではない。
日本には姦通罪が存在しないから、不倫や不貞行為があったからといって犯罪には該当しない。
とはいえ、民法には「貞操義務」という立派な概念がある。不貞行為は裁判上の離婚要件になるから、一応、ヨソでエッチすることは法律的に許されないという解釈も成り立つ。
それにしても貞操義務って凄い響きだ。思春期の頃は「貞操帯」という器具の名前を目にするだけで興奮したが、大人になると「貞操義務」という言葉を突きつけられてシュンとしてしまう。
なんだか話がとっちらかってしまった。
せっかく夫婦になったのなら仲良く添い遂げるのが一番である。日本の場合、古い時代からの習慣で結婚した途端に夫婦が男と女ではなくなり、「父ちゃん&母ちゃん」になってしまうのが良くないらしい。
確かにお互いを名前で呼び合う中年夫婦など見たことなどない。異性として認識していない何よりの証だろう。なかなか難しいだろうが、時にはオメカシして夫婦だけでデートするような努力も必要だと思う。
お互いの呼び方以外に「寝室が別々」というのも不仲の導火線になるとか。ホントかどうかは知らないが、仲良し夫婦は同じ寝室で寝ているという調査結果もあるらしい。
当たり前のことかもしれないが、現在苦戦中の夫婦はそんな小さなことから改善してみてはいかがだろうか。
最後に私が好きな言葉を一つ。
「バレない不倫に罪はない」。
ドラマで聞いた台詞だ。実に奥が深い。
バレたら負け。バレてしまったら罪である。
2016年6月13日月曜日
不倫やら浮気やら
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