見栄を張ることはバカみたいだ。でも、私はちょっとした見栄っ張りが嫌いではない。男たるもの、くだらない見栄を張ってこそナンボだと思う。
見栄といっても変な自慢話はいけない。ちょっとした“頑張り”みたいな心持ちのことである。
牛丼屋で並ではなく特盛りを注文したり、おっぱいパブで女の子にせがまれるドリンクを断らない程度の“頑張り”である。そういう局面でセコセコしちゃうのはイキではない。
バカと言われればそれまでである。実際にバカだと思う。でも、男として生きている以上、適度に突っ張ったり、カッコつけるのは必要なことだろう。
ラーメン屋さんでついつい「全部載せ」を頼んだり、カツ丼が食べたかったのに蕎麦屋だからついついザル蕎麦も追加注文するような見栄はいじらしく美しい?と思う。
マクドナルドでポテトのSを頼むと負けたような気がする。要はそういう精神性!が男には大事だと主張したい。
見栄を張ることと自慢は似て非なるモノである。見栄はある種の自己満足の世界だ。誰も気づいてくれないような部分への小さなこだわりみたいなものである。
自慢はことさら人様にアピールするから醜い。持っているモノや経歴を自慢されるとウンザリする。さりげなくない行為はたいていヤボである。
まあ、そんなエラそうな事を言いながら、このブログでは、ウニやカニや鰻を食べまくった自慢みたいな話を延々と書いているから人様のことは言えない。
先日も80歳にならんとする我が母親から文句を言われた。時々、このブログを読んでいるようで、私の暴飲暴食ぶりを「世間様からひんしゅくを買うからヤメろ」とのこと。困ったものだ。
それはさておく。
ついでに言えば、自慢にもなっていないヘンテコな話を自慢げに繰り出すヤツも困ったものだ。
俗に言う「寝てない自慢」なんか実にお粗末だと思う。忙しさアピールも度が過ぎると単なるマヌケだ。アンタがトロいから寝る時間が無くなったんだろうとツッコミたくなる。
今日はメシすら食ってないんだぜ。こういうのも同じ。タイムマネージメントが出来ない人だと思われるのがオチ。
同情を引こうと思っているのだろうか。だとしたらマヌケだ。人は人のことでそう簡単に同情などしない。
考えてみると見栄とヤセ我慢は同じ意味なのかもしれない。財布の中身が寂しいのに気前よくおごっちゃうことと、パンツが見えそうなミニスカートの女性からあえて目をそらすことは高尚な心持ちという点で同じだ。
そういう卓越した精神性こそがイキな男には必要だろう。友達になるのならそんなカッコイイ?男に限りたいものだ。
なんだか屁理屈をこねくり回しているような感じになってしまった。
ちなみに私自身、日々くだらない見栄を張って過ごしている。バカだと思うが、そんな自分がイヤではない。
アイスクリームはなぜかダブルで頼むし、ラーメン屋で普通のラーメンを頼むことはない。何かしらトッピングを加える。
女性を見ればカッコつけるし、体重を聞かれればウソをつく。仕立ててもらった国産生地のスーツに「ゼニア」のラベルを貼らせたこともある。
どれも大した話ではない。でも、そんなちょっとしたバカみたいな“頑張り”が自分というものを成り立たせている根っ子なんだと思う。
これからどんどん歳を取って偏屈な人間になっていくはずだが「自慢は控えて見栄を張る」をモットーに生きていきたい。
2017年7月21日金曜日
見栄っ張りは美しい
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2 件のコメント:
富豪記者殿
全く同感です。
自慢は野暮、でも稚気といわれるかもしれないような見栄を張るのが男の心意気ってものだと思います。
若くはないけど枯れてはいない我々の世代こそそれを意識して生きていかなきゃならないんじゃないでしょうか。
道草人生さま
「若くはないけど枯れてはいない」。何となく気に入りました。
含蓄のあるお言葉です!
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