2021年12月22日水曜日

師走の日常

 

12月という季節柄、様々な予定が入りやすいから様々に?活動を続けている。元気でいることは大事だ。

 

今年は数度にわたる扁桃腺爆発やらハヤリ病やらで会社を45日休んじゃうことが5回にも及んだ。社会人失格レベルである。

 

最近とみに疲れやすさを感じるようになったし、我が身の劣化が切ない。とはいえ、老け込まないためにはそんな自分にムチうって行動することも大事である。

 


 

先日、久しぶりに日本橋の「大江戸」でウナギを堪能した。今年、体調を崩しがちだったのは例年よりウナギ摂取量が少なかったからだと判断してガツガツ食べた。

 

何をさておき肝串である。元気になるためにはアノ苦みは大切である。粉山椒をブリッとかけて冷酒とともに味わう。まさに充電モードだ。

 

夜の鰻屋さんでは白焼きも外せない。個人的には白焼きがメインみたいな存在である。冷酒の肴コンテストで不動の一位を続けている。私の頭の中だけで行われているコンテストだが、殿堂入り永久一位の座に輝くのが白焼きだ。

 



 ウナギ本来の風味を味わえる。わさび醤油をちょろっとつけて口に放り込み、しばし味わい喉奥に落ちていった瞬間に冷酒を追いかけさせる。マリアージュの極みである。

 

初めてこの組み合わせに悶絶してから30年以上は経った。飽きることなく愛し続けている。ひょっとすると今まで大病もせず生きてこられたのはウナギの白焼きのおかげじゃないかとさえ思う。

 


 

ウナギとうなじである。一人で沈思黙考しながらウナギを楽しむのもオツだが、綺麗どころと四方山話に花を咲かせながら味わうのも悪くない。

 

ウナギとうなじ。一文字変わるだけで随分と風情は変わる。日本語の奥深さ?だ。

 

ちなみに一文字変わるだけでまるで意味が変わる例えを思い出した。

 

「あそこに立っている人が私の旦那です」

 

「あそこが立っている人が私の旦那です」

 

「に」と「が」が一文字変わるだけで普通の情景がスペクタルな情景に変わる。日本語の奥深さは象徴する例えだ。

 

なんだか話が逸れてしまった。

 

別な日、久しぶりに我がオヤジバンド、いやオジサマバンドの中核メンバーと飲む機会があった。議題は今後のライブ活動である。

 

新橋のレトロな酒処「かとう」でオジサマ好みのツマミを食べ散らかしながらグビグビ飲む。餃子、あじフライ、肉豆腐などなど。

 




 

大事な議題については早々に結論に至る。来年こそはライブを再開することで大筋同意に達し、あとはバカ話だけで飲み続ける。

 

その後、ほろ酔い気分で歩いてすぐの銀座を徘徊。顔なじみのミニクラブを訪問して久しぶりにカラオケ大会に発展。カラオケをうなったのはいつ以来だか思い出せないぐらい久しぶりだった。コロナ禍になってから初である。

 

喉も筋肉だから高い声が出なくなっていることに慌てる。ちゃんとリハビリしないとライブではキーを下げまくらないとならない。問題だ。頑張って喉を鍛えようと決意。

 

さんざん騒いでしっかり疲れた夜だった。邪念のない飲み会だと不思議と気持ち悪くなったり重い二日酔いにならないことが有難い。

 


 

この画像は帰り際に撮ったセクシーショットである。一見するとムホムホな画像だが、彼女の手には高額が記載された勘定書きがしっかり握られている。そりゃあベロもペロっと出ようってものである。

 

というわけで、この日も日本経済にそれなりに貢献した。正しいオトナの行動だと信じたい・・・。




 

 

 

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