気付けば離婚してから10年以上が過ぎた。十年一昔の言葉通りで、ガタガタしていたことが随分と昔の話みたいに思える。
今の日本では3組に1組の夫婦が離婚を選択するらしい。ふむふむって感じである。皆さん結婚式では神様に誓いを立てたはずだが結構テキトーである。私もか…。
10年以上前にこのブログで離婚についてアレコレと書いたことがある(https://fugoh-kisya.blogspot.com/2012/10/blog-post_15.html)。いま読み返してみると妙に力を入れて自説を書きなぐっている。まだまだ達観していなかったみたいだ。
「ホントに無理ならとっととスッキリすればいい」。今となってはそれしか言いようがない。理屈をこねて取り繕っても意味はない。熟考した上でダメならヤメるしかない。こういうことこそ単純なところに正解があるのかもしれない。
生きている中でもっとも厄介なものとは何か。ズバリ対人関係のストレスだと思う。この世からそういうストレスがなかったらどんなに平和だろう。平均寿命だって50年ぐらい延びちゃいそうである。
幼稚園から小学校という人生の初期段階から対人関係のストレスは始まる。友達との関係だけでなく教師との関係、はたまた兄弟姉妹の関係でもストレスは生じる。
社会に出れば上司や同僚、取引先等々、一気にストレスは増える。他にもご近所トラブルだってある。言ってみれば人と知り合う数だけストレスの芽はある。
なかでも夫婦関係が一番厄介だと思う。他人同士が家族になるわけだからそう簡単ではない。実の親子ですら憎しみ合うことはあるわけだから元々他人である男女ならば上手くいかないことは不思議ではない。
恋愛感情なんてものは短い期間で終わる。そこから先は「家族なんだから」という呪縛の中で何とか気持ちに折り合いをつけて過ごしていく。
子供ができれば同志的な連帯感やいたわりの感情に下支えされてストレスに気づかないフリもできるが、それでも育児方針や教育方針を巡っての対立も起きる。
それでも「家族なんだから」という呪縛の力によって何とかコトは回っていく。経済的な理由だけで夫婦関係を仕方なく維持している人も多い。新婚当時の仲の良さが晩年まで続く夫婦もいることはいるが残念ながら少数派だ。
そう考えると何とも切ない話である。「家族なんだから、夫婦なんだから」という呪縛のせいでストレスは溜まり続ける。そんなウップンが不倫をしている芸能人への異常なまでのバッシングに繋がったりする。
もちろん、離婚を闇雲に勧めるつもりはない。でも家庭のストレスを溜めまくって病気になって死んじゃう人だっている。そんな事態になるならあまりに悲しい。そこまでして維持する価値のあるものなのかは疑問だ。
離婚する人を自分勝手と批判する人も多いが、重要なのは人生は誰のものかという点に尽きると思う。当たり前だが自分の人生は自分だけのものである。そこは捨てる必要はない。それはそれで大事だ。
家族への責任はあるが、たとえ離婚した後だって直接間接に子供を支えることは出来る。あくまで夫婦という単位を解消することが離婚であり、熟考した上での判断なら他人からとやかく言われる話ではない。
するする詐欺みたいに「離婚するよ」と言いながら夫婦関係を続けている人は多い。愚痴をこぼす程度にウジウジしているぐらいなら頑張って続ければいい。離婚する際には結構なエネルギーが必要だ。本気で決断したらウジウジと他人に愚痴をこぼす余裕など無い。
あらゆる角度から冷静に考えたうえで自分の人生にとって今の環境が適切なのか、耐えられる程度のストレスなのか、後悔しない自信はあるのか、そのあたりをしっかり踏まえて出す答えならきっと間違いではないはずだ。
もちろん、ゴタクを並べたところで人間の決断なんて間違いも多い。正しいか否かの結果は死ぬ時まで分からないのだろう。
私個人としては、離婚から10年が経った今、しっかり元気でおおらかな気持ちで過ごしている。それが結論だ。最期の時までそんな状態で続けば御の字だろう。
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