ワイングラスを手にカッコつけている私だ。こうやって顔抜きで見るといっぱしの紳士みたいである。普段ワインには興味がないのだが、洋食屋さんでベシャメルソースにウットリする時には飲みたくなる。
この画像も日本橋のたいめいけんでコキールを皿まで舐めそうな勢いで食べた時の一コマだ。フレンチやイタリアンにはすっかり行かなくなったが「ニッポンの洋食」への熱は一向に冷めない。
歳とともに味覚が子供返りしているのか、小難しい名前の小難しい料理?を積極的に食べる機会が激減した。子供の頃に慣れ親しんだ好物ばかり食べている気がする。
時々、コンビニでパスタを買ってしまうのだが、イマドキっぽい洒落た商品よりもベタな「たらこスパゲッティ」を選ぶし、菓子パンにしてもオーソドックスなアンパンが妙に美味しく感じるようになった。
洋食屋さんのメニューは基本的に昭和の頃の子どもたちにとってご馳走ばかりである。グラタン、シチュー、クリームコロッケ、オムライス等々。焼魚や肉じゃがあたりの普段の食事よりちょっとハイカラだった。すべて名前がカタカナだったのも特別な感覚につながっていたのかもしれない。
先日、浅草を散策した。とくに目的もなくただぶらぶら散歩していたのだが、歩きながら考えるのは何を食べようかという一点だけである。やはりこの街に来ると昔からのDNAのせいで食い意地がいつも以上に高まる。
黒っぽい天ぷら、蕎麦に釜飯、はたまたトンカツか。老舗人気店が多いだけにそんなラインナップが頭の中でぐるぐると回る。どれも決め手にかけて結局たどり着いたのは洋食の「ヨシカミ」だった。浅草に来るたびここにばかり来ている気もする。
東京中の洋食屋さんを訪ね歩いているからこの店よりも自分好みの洋食屋さんはいくつもある。でも浅草の地に足を踏み入れるとナゼかこの店のレトロな雰囲気の中に身を置きたくなる。
メンチカツ、牡蠣グラタン、ラムステーキ、チキンライスである。デミソースの味、ケチャップの味、ベシャメルの味すべてが味わえて文句なしである。目ん玉が飛び出るような美味しさというわけではなく、ホッコリじんわりと幸せが追いかけてくる美味しさである。
若い頃は何かと目先の変わった聞き覚えのない名前の食べ物を目指していろんな店を巡り歩いた。でも自分の中で定番として残っているものはほとんど無い。結局は子供の頃の大好物に影響されて生き続けているみたいだ。
今思えば幼い頃は母親が作ってくれたグラタンが大好物だった。ベシャメルソースというより単なるホワイトソースみたいな感じだったが、大げさに言えば故郷の味と言えるかもしれない。出来立てをガシガシ食べたいのに猫舌だったから冷凍庫に5分ぐらい入れて冷まして食べていた。
ケチャップ炒めメシも好きだった。色のせいで特別なご馳走に思えた。味はよく覚えていないが食べ終わっちゃうのがとにかく残念で皿まで舐めていた思い出がある。
私が子供の頃は今のように外食産業が盛んではなかった。ファミレスも存在していなかったし、子供が連れて行ってもらえるのはデパートのレストランぐらいだった。そこで出てきたのが「お子様ランチ」である。詳細な記憶はないが、小さい旗が立っていたこととオモチャが付いてくるせいで気分は爆上がりだった。
考えてみれば洋食屋さんに行ってあれこれと注文するのはお子様ランチの延長みたいな気分なのかもしれない。合盛りにこそしないものの単品注文のそれぞれを一箇所に集めて眺めてみればお子様ランチのスーパー派生バージョンみたいなものである。
先日、日本橋三越の中の洋食レストランで実に麗しいイキなメニューを見つけた。その名も「大人さま洋食」である。三越では以前に期間限定でお子様ランチに対抗した「大人さまランチ」を展開していたが、その名残りでこういうメニューが有るのだろう。
ナポリタンにグラタン、ステーキにエビフライである。これにコーンポタージュとプリンが付いてくる。5千円近い値付けだが、「大人さま」とうやうやしく呼ばれてしまっては平気な顔で注文しないとなるまい。
今日の冒頭でも書いたが、歳とともに味覚が子供返りしていくのなら、高齢化社会の本格化によってこういう大人さまランチみたいなメニューは日本中で定番化していくかもしれない。
いずれにせよ、何だか気持ちが穏やかになる一品だった。
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