某日、日本橋外れのウナギの老舗「高嶋家」で晩酌がてらウナギを堪能してきた。気ままな一人時間だったせいか大好きなウナギを前にひょんなことが頭をよぎった。
肝焼き、白焼きを肴に燗酒を楽しむ。程よいタイミングで出てきた鰻重を眺める。「はたして人生最後の一食だとしても私は鰻重を選ぶのだろうか」。そんな哲学的?なことを考え始めてしまった。
せっかく鰻重を味わっているのに頭の中は他の食べ物ばかり浮かんでくる。深く思い悩んだせいできっと物凄く難しい顔をしながら過ごしていたように思う。
10年以上前にこのブログで「最後の一食を選ぶ」という話を書いたことがある。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2013/09/blog-post_4.html
ウダウダと書いていたが結局はTKG、すなわち卵かけご飯を選ぶという結論だった。10年たった今も果たして同じ気持ちなのか冷静に考えてみた。
TKGはやはり別格だろう。究極の日本食と表現しても大袈裟ではない。だいたい卵を生で食べる文化は日本ぐらいしか無いので世界一のグルメメニューと言える。
とはいえ、「人生最後の一食」である。もうちょっと色気?のある食べ物を選んでも良さそうだ。問題はその一食を味わう時の自分の状況だろう。
重病で息も絶え絶えなのか、健康のまま突然死んじゃうのかでまったく様子は異なる。明日、隕石が衝突して地球が全滅する場合ならごく普通の健康状態で最後の一食を選択することになる。
病床でヘロヘロだったらもはや食べる意欲はないかもしれない。仮に食欲があったとしてもステーキやカルボナラーラを食べようとは思わないはずだ。やはり、その場合にはTKGが最有力だ。ダークホースとして蕎麦かソーメンぐらいだろう。
問題は隕石衝突前日の最後の一食だ。そんな状態で飲食店など開いているはずはないし、もうすぐ死んじゃう時に食べることなど考えてないだろうが、まあ仮定の話だからそこは通常の世相のままという前提だ。
最後の一食である。悩みに悩む。頭に浮かぶものをすべて食べたいが、物理的には3品ぐらいが限界だろう。好きなものをそれぞれ通常の半分ぐらいの量で5,6品食べるのがいいかもしれない。
最有力候補はトンカツだ。極上のヒレを2,3切れ、続いて鰻重だ。これも半量で済ませて、グラタン、ドリアなどのベシャメル系を半分、麺も欲しいからアルデンテのボロネーゼパスタあたりを半分、さすがにもう満腹でダメそうである。
それだけ食べれば納得するかと考えたが、まだまだ大好物が残っている。チキンライスやオムライス、ソース焼きそばが漏れている。これは問題である。これらはその時の気分で上位メンバーと簡単に入れ替わる。
麺をメインにするかご飯物をメインにするかでラインナップは変化しそうだ。うーん実に悩ましい。それにしてもこんなことを真剣に考えている私はどこかおかしいのだろうか。いや、心が平穏な証拠だから良しとしよう。
と、ここまで書いてきて選外になっていた大事な仲間がいることを思い出した。イクラである。これも物心ついたときから私の人生を楽しませてくれる存在だ。ランク外にしてはダメだ。
寿司のイクラもいいが、どんぶりメシにどっさりイクラを乗せて頬張るのが最高だろう。寿司の場合には量的に欲求不満が残るが、イクラ丼の幸福感は圧倒的だ。
旅先などでイクラ丼を食べる時にはコレステロール問題が頭をよぎって罪悪感をちょっぴり感じる。でも明日は隕石が衝突するわけだからそんなアホみたいな健康神話は完全無視だ。どれだけイクラを投入しようとヘッチャラだ。なんなら極上の生ウニを箱ごと追加トッピングするのも良い。きっと超絶的に幸せを感じる。
ここまで書いてきて、やはり何が何でも外せないのはウマい白米だと気づいた。こればかりは最後の一食に欠かせない。私の場合、最優先すべきはコメなのかもしれない。
やはり日本人としてのDNAのせいか、ウマいコメがあってこそのご馳走だ。自分好みに硬めに炊いた粒立ったウマいコメがあれば、むしろそれが人生最後の一食にふさわしいと言えよう。
こんなことを考えた翌日は、朝からしっかりウマいコメを炊いてTKGとイクラご飯をセットで食べてしまった。やはり至高の味わいだった。
よくわからない結論ですいません。平和である。春である。
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