2024年5月17日金曜日

ニッポンに生まれて

 

日本の食べ物はウマい。自分が日本人だからそう感じるのかと以前は思っていた。激増した外国人旅行者は口々に日本の食べ物を褒めまくっているから、どうやら日本の美食は地球レベルで真実みたいだ。

 

これまで出かけた国や地域は40ぐらいになる。すべて旅行でちょろっと覗いたぐらいだが、食べ物に感激する機会は多くなかった。どちらかといえば首をひねることのほうが多かった。

 

「親ガチャ」みたいな言い方をすれば、こと食べ物に関しては日本に生まれたことは「国ガチャ」における勝ち組である。どんなジャンルの料理も豊富に揃いそれがまた高いレベルだ。これって幸せなことだと思う。

 

日本に生まれたのが幸運と書いたが、50100年単位で早く生まれていたら今のような百花繚乱状態は楽しめない。飢饉に苦しむ時代に生まれたら行き倒れになった人の死体を齧っていたかもしれない。

 

逆に今と同じ時代にまったく別の場所で生まれていたら事情はまったく変わる。アフリカあたりの未開の国だったら今の私のように食を楽しむという発想すら無かっただろう。

 

世界に冠たるアメリカだって多くが田舎だ。毎日、豆とパンと決まった味の硬い肉ぐらいしか食べていない人も多い。そう考えると今現在の東京に暮らすことは「国ガチャ」どころかトンデモないレベルの凄い宝くじに当たったぐらいの幸せだと思う。

 

ちょっと大袈裟な書きぶりだが、先日、久しぶりに極上の水炊きとスープを堪能したので、ふとそんな感慨にふけってしまった。

 

新宿の市ヶ谷寄りにある「水炊き・玄海」は昔から鶏好きな大人たちを喜ばせてきた店だ。私が最初に体験したのはもう30年以上前になる。仕事の付き合いで連れて行かれたのだが、美味しくてビックリした。

 




この店の水炊きは何といっても野菜をいっさい入れていない点が素晴らしい。野菜のせいで薄まらず野菜の香りが邪魔になることもない。スープの旨味にほっこりする。

 

自分で行くようになってからはおそらく鍋のスープをおかわりしなかったことは一度もない。液体なのに酒の肴にもなるほどひたすら味わっていたい美味しさだ。

 

肝心の鶏肉も締まった肉質で旨味も強い。何切れだろうとエンドレスで食べていられる。コースしかない店だからいつも一番安いコースを注文して鍋の鶏肉とスープを追加注文するのが私のパターンだ。

 


 

コースだからちょこちょこ料理も出てくるが、いつもそちらのことは忘れてしまう。ただただスープと鶏肉をお腹がプカプカ鳴り出すまで堪能し続けるのが幸せだ。

 

店員さんによると外国人客も増えているそうだ。はたしてこの店の滋味あふれる水炊きをどう感じるのだろう。これぞニッポンの味とも言える。シンプルだけど深みがとてつもないこの味が理解できれば正しい味覚の持ち主だと認めよう。

 

妙に上から目線の書き方である(笑)

 

話は変わる。日本蕎麦の美味しさも外国人に理解できるのか気になるところだ。ラーメンなら油っぽいし小麦粉麺だから通用するのは当然だが、蕎麦は独特だ。食べ方だってよく考えればちょっとヘンテコだ。

 

わざわざ小さなおちょこに蕎麦をちょろっとつけてズルズルすするわけだから蕎麦文化に無縁の国の人からすれば一種異様な世界だろう。

 

同じ日本人でも明治維新後にエバって東京にやってきた薩摩の下級武士なんかは江戸前の蕎麦の食べ方がわからなかったらしい。ザルに載った蕎麦につゆを上からかけ回してしまい卓の上をつゆまみれにした失敗談を何かで読んだことがある。

 



先日、築地の「さらしなの里」で普段は注文しない変わり蕎麦を食べてみた。ゆず、よもぎなど季節ごとに変わり蕎麦は用意されているが、今の時期は茶そば。本格蕎麦屋がわざわざ作る茶そばに興味が湧いた。

 

茶そばを好んで食べたことはない。たいてい何かの付け合せ的な存在で茶の香りも風味もたいして感じた覚えがない。色だけ付いたテキトーな一品というイメージだ。

 

嬉しいことにこの日の茶そばは私のそんな思い込みを軽く吹き飛ばしてくれた。お茶の風味をしっかり感じた。色も妙に美しい。こんなレベルの茶そばなら普段からちょくちょく食べたいと思った。

 


鴨や蕎麦がき、天ぷらを肴に蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを楽しみ、せいろ、さらしな、そして茶そばを堪能した。どっからどう転んでも「ザ・ニッポン」である。若い頃とは違う中高年ならではの幸せを満喫した。

 

 

 

 

 

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