靴の画像をちょこちょこツイッターにアップするようになって2か月ほど経った。
そんな意味不明な習慣のおかげで靴の手入れをサボらずに済んでいる。
街中を歩いている時も銀座あたりで飲み歩いている時もキチンとした身なりの人の足元に目が向く。
自分の靴のほうが綺麗に手入れされているとホッとする。一種のマウンティングみたいな感覚かもしれない。ちょっとバカみたいだ。
それにしても世の中にはヨレヨレの靴を履いている人が思った以上に多い。パリッとしたスーツを着こなしているように見えても足元がダメだと台無しだ。
靴は人なり、などと書くと大げさだが、中年紳士に限ればマトを得た表現だと思う。
先っぽが尖って上を向いているような靴をオジサンが履いている姿は滑稽だし、革靴のフリ?をした運動靴もどきを履いているオジサマもカッチョ悪い。
まあ、人様の勝手だから私がどうこう言う話ではないが、中高年紳士の「人となり」を如実に表すのは靴である。
若い頃ならともかく、一定の年齢を過ぎた社会人なら身だしなみに意識を向けられないのは失格だ。
カッコばかりに囚われ過ぎるのも愚かだが、無頓着すぎるよりはマシだろう。なんだかんだ言って人は人を見た目で判断する。これは現実だ。
別に高い靴を履くべきという話ではない。ベーシックな靴をキチンと手入れしていれば充分だ。それすら出来ていない人は、世間からマイナス査定的な目線で見下されるリスクは高まる。
普段、茶系の靴ばかり愛用している私も自分に特別な気合いを入れる時は黒のベーシック靴を履く。画像は上がジョンロブ、下はオーベルシー。
普段は黒い靴はほとんど履かない。単純にワクワクしないからという理由である。勝手な思い込みだが、茶系のほうがその靴のデザインや色っぽさが際立つように思う。
冒頭の2枚の画像はステファノブランキーニとマンテラッシだ。ともにイタリアの洒落靴である。カチっとした靴も大好きだが、このぐらいの崩し加減も好きだ。
いつまでも色気を忘れてはいけないという自戒?も込めて愛用している。不思議なもので、どこか心が浮き立つような感覚になる。
茶系の靴でも王道の英国靴だと雰囲気は変わる。
上がエドワードグリーン、下がガジアーノガーリング。どこかカッチリ感がある。紐をしっかり結んでいないのはご愛敬である。
ジョンロブとエドワードグリーンといえば、紳士靴の世界における二大巨頭のような存在だが、個人的にはエドワードグリーンに惹かれる。
ベンツとジャガーだったらジャガーを選びたくなる心理みたいなものだろうか。ヘンテコな例えですいません。
主観的な意見だが、エドワードグリーンには一種独特の色気を感じる。カチッとし過ぎないスタイリッシュ加減が絶妙だ。
実際、クラシックスタイルを好むイタリア人は、イタリア靴ではなく、あえてエドワードグリーンを選ぶという話もある。
話は変わる。
寒い季節になると、スーツにブーツを合わせることもある。紳士服をめぐる深い知識は持ち合わせていないが、一般的にはカジュアルになり過ぎるという理由でスーツにブーツというパターンは敬遠されがちだ。
とはいえ、スーツにも合わせたくなるショートブーツをいくつか持っているので、寒い日は迷わずに履く。
不思議なもので、スーツにショートブーツを合わせると、自分がいっぱしの伊達男になった気分になる。内田裕也みたいに意味もなく「ロッケンロール!」とつぶやきたくなる。
上からステファノビ、ステファノブランキーニ、ジョンロブである。
なかでもサイドゴアにベルトを追加しちゃうステファノブランキーニの美意識はイタリア靴ならではのスケベさだ。まさにアッパレだろう。
ちょこっと外した感じが“大人的ロッケンロール精神”を表していると思う。
ヘンテコなまとめ方になってしまった。
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