2019年1月28日月曜日

珍味に悶絶


その昔、mixiのハンドルネームにもしていたぐらい珍味が好きだった。今でも好きだが、昔ほど食べなくなった。これも加齢だとしたら切ない。

7~8年前は偏執狂のように珍味ばかり攻めていた。肝系、魚卵系を中心に一種の変態男だった。

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当時は血液検査のたびに尿酸値が高くて、お医者さんからも痛風発作が出ないのは不思議だといわれていた。

今は余裕で標準値をキープしている。無頼派ではなくなったという意味で残念なことだ。


そうはいっても、お寿司屋さんや小料理屋さんに行けば私の目の前には小皿がたまる。塩辛だカラスミだとチマチマした珍味を頼むから小皿大会になる。

死んだ祖父が食卓にいろいろと並べたがるタイプの人だったから、私もそれを受け継いでいる。

大きめの皿にドカンと一品というパターンは嬉しくない。目の前にちょろちょろいろんなモノが並んでいるほうが嬉しい。

そういう意味でも珍味はちょこっとずつ出てくるから目でも楽しめる。


しょっぱい系がアレコレ揃っていると酒が進む。こうなると「食事」ではなく「飲酒」だ。でも私にとっては酒が主役ではなく、珍味が主役だ。

うまい酒を飲むために珍味をつまむ、ではなく、珍味を楽しむために酒を用意するというのが「正しき珍味道」だと思う。

ちょこっとずつだから嬉しい。有難い感じがする。世の中のオッサンの中には有難い珍味が出てきても一口でパクッと食べちゃう人がいる。あれってどうなんだろう。

沖縄珍味の代表である豆腐ようなどは、それこそ爪楊枝でチロチロ食べるべきなのに、塊をまるごと食べている人を目撃したことがある。ある意味で衝撃だった。



カラスミとふぐの白子だ。ちょっとだけ出てきて、それをチマチマ味わうから美味しい。冬ならではの王道珍味だ。こういうものを味わうと心底日本人で良かったと思う。


ウナギの肝だ。今ではたいていの店が肝だけを別途輸入して用意するようだが、それでもウナギのタレ風味をまとって炭火で焼かれたら珍味界のスターである。

ここ2,3年は珍しい貝の肝や得体の知れない魚の卵など極端にヘンテコな珍味を追いかけることはなくなったが、王道的な珍味があれば条件反射のように注文する。

時々訪ねる某焼鳥屋さんは、常にレバ刺しを用意している有難い店だ。刺身もウマいが、少しだけ炙ってぽん酢で食べるのもウマい。


こちらはレバ煮。生で食べられるものを甘辛く煮てもらってネギをドッサリ投入。これに七味をブリブリふりかけて、焼酎とともに味わうと悶絶する。

今の私は尿酸値の数値が健康優良状態だから、こういう一品に出くわした時も、まるで罪悪感ナシで楽しめる。

そう考えると、以前より珍味追求欲求が減ってきたこともあながち悪くない。

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