というわけで今日も画像とは関係なくオジサンという生き物にまつわる話を書こうと思う。
自分が普通に使ってきた言葉が今や「おっさんビジネス用語」というカテゴリーに入っていると聞いて驚いた。イマドキの若い者は…、新人類だ、などと言われていた日々も今や昔である。これもまた諸行無常だ。
おっさんビジネス用語として例示されていた代表格が「よしなに」。確かに私も時々使っている。元を正せば若者時代にオジサン世代が使っていたのをマネしている。
会議の終わり際に、“では、よしなに”とか言ったことはある。よろしく、よりは柔和な感じがして上司っぽい雰囲気も出るから違和感なく使っている。
「仁義を切る」「交通整理」「寝ワザ」「ガラガラポン」「一丁目一番地」あたりも若者には意味不明なおっさん言葉なんだとか。ホントだろうか。40代、50代のビジネスマンにとってはごくごく日常的に出てくる言葉である。
確かに「幸甚に存じます」あたりだとオジサン臭がぷんぷんだが、上に羅列したようなフレーズも今では古めかしい扱いを受けているとは驚きである。
「なる早で」もオッサン用語領域に含まれるようで、イマドキは「ASAP(as soon as possible)」を使うケースが多いとか。ホンマかいな?である。絶対に後者のほうが気持ち悪い。そう考えるのは私がオッサンだからだろうか。くしゃみをしたら「Bless you」と言われるぐらい無性に気持ち悪い。
社会人生活も35年も過ぎると世の中は相当変わるものらしい。まあ、私が新入社員だった頃の35年前は昭和20年代後半である。高度成長期というより戦後復興期だったわけだ。
35年の歳月って想像以上に長い。社会人歴35年のオジサマの言葉を今の20代前半の若者が理解できないのも仕方がないのかもしれない。それはそれで複雑な気持ちだ。
さて、我々世代の言語が意味不明ならば、イマドキのカタカナ絶対主義みたいなビジネス用語も気持ち悪い。もちろん我々世代も充分にヘンテコなカタカナを有り難がって使ってきた。カタカナにすればカッチョいいみたいな変な習慣はいつの時代も同じだ。
最近、レンジアップという言葉が一般化しているらしい。何のことはない。レンジでチンすることである。レンチンでいいのにレンジアップという響きが素敵?なのだろうか。
そもそもレンジ自体が和製英語であり外国人には通じない。そこにアップまで付いてしまったらもはや謎の言語である。和製英語とも呼べない単なるカタカナ造語である。
日頃、個人的にはなるべくシャレた?カタカナ言葉は使わないようにしている。さすがに私もコンプライアンスやアライアンスぐらいは言うが、それ以外に口にするのはイラマだとかオーラルとかGスポットぐらいだろうか。
バカですいません。
仕事の場で相手の口からアジェンダとかエビデンスとかそのあたりの言葉が出てくると何だかゾワゾワした気分になる。ひねくれているのだろうか。「普通に話せよコラ」と心の中でつぶやく。
ガバナンス、ヒューマンエラー、マンパワー、シュリンク、イシュー等々、いつのまにかそんな言葉ばかり飛び交っている。自分で試しに使ってみたらきっと小っ恥ずかしくて赤面しそうだ。
アグリーとディスアグリーまでいくとほとんど意味不明である。「3割のカスタマーはアグリーしてくれましたが、残りはディスアグリーでした」。要するに「3割の客が同意した」である。ここまでくると喜劇みたいだ。
きっと何でもないことを難しいことのように表現したい深層心理が働いているのだろう。カッコつけるというよりゴマカシみたいな発想に近いのかもしれない。
原発を核発電とは呼ばないし、税金を公的資金と言い換えるのと結局似たようなものだ。援助交際やパパ活が単に売春を意味するようにオブラート効果みたいな思惑が言葉をアレンジしているわけだ。
まあ、時代の流れに逆らえないし、せいぜい私もイマドキのビジネスカタカナ言葉の意味ぐらいは知っておくようにしよう。
「ワンレンボディコンでマブそうに見えたあのコ、ただのバックシャンだったぜ、ザギンでテッペンまで飲んだけど意外にタカビーでアッシー扱いされちまったよ」
そんな言葉を口にしていた時代が妙に懐かしく感じる今日この頃である。
2 件のコメント:
35年前は
昭和60年代あたりでは。
1980年代後半くらいに
入社されているのではと
想像してました。
読取り間違いでしたらすみません。
はい、80年代終わりに社会人になりました。今とは違う国みたいな感覚でした。
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