そっち系の文字だけでグっときてしまう思春期の少年時代ならではの思い出だ。「乳房」「挿入」「局部」など別にどうってことのない文字を見るだけでドキドキした。ああいう感覚ってもう二度と味わえないのかと思うとちょっぴり淋しい。
「淫」「姦」「艶」あたりの文字にも妙に興奮を覚えた。オドロオドロしい雰囲気が漂っている。簡単に書けないところも手強い印象だった。
何年か前にもそんな話を力説したことがある。「酒池肉林」という文字に鼻血が出そうになったとかのアホバカ話である。
https://fugoh-kisya.blogspot.com/2017/07/blog-post_28.html
前に書いた時には触れなかったのだが、私が思春期に物凄く印象に残った言葉がある。特定の漢字ではなく6文字の平凡なフレーズだ。いまだにその言葉を口にすると思春期の甘酸っぱい記憶が甦る。
その言葉とは「丸みを帯び」である。確か中学一年の保健体育の教科書に載っていた言葉だ。男子、女子の肉体的発達を記述してある箇所だった。成長に連れて「女子の身体は“丸みを帯び”…」と書かれていた。
「まるみをおび」である。この6文字が私のその後の人生につきまとうようになった。胸も尻も「まるみをおび」ることで形成されていく。他にも太ももだって「まるみをおび」ることによって男性とは違う独特のフォルムになっていく。
言われてみればキューティーハニーも峰不二子も丸みを帯びていた。教科書と見比べてみて心から納得して、それからは「まるみをおび」という六文字が事あるごとに私の脳内を駆け巡った。
その教科書のせいで、私は中学高校時代はわりとグラマラスなタイプの女性に憧れた。ちょっとデブ気味の女性でも痩せている人より魅力的に思えた。
大人になってからはデブを敵視するようになったが、若い頃は「まるみをおび」という呪文に縛られて丸々したフォルムに目が吸い寄せられた。
もちろん、今になってもパリコレモデルのような針金みたいなスタイルの女性にはまったく魅力を感じない。デブに分類されるのは行き過ぎだが、やや細身や普通ぐらいで適度な丸み。これが基本だと思う。
エラそうに書いているが、そんな私自身が年々丸みを帯びてきてデブ化しているから、まずは自分のフォルムを何とかしないといけない。まあ、それはそれで横に置く。
どちらかといえば細身の女性なのにそんな馬鹿げたことに何十万もコストをかけて、おまけに2週間近く入院までしたらしい。私から言わせれば「まるみをおび」に逆行する狂気の沙汰である。
太くなければ太ももではない。自然の摂理にまで抗うのは残念な話だと思う。太ってもいないのにダイエットばかり気にする風潮は間違っていると思う。医学的な標準体重は若い女性に言わせると「かなりのデブ」になるらしい。
飽食の時代どころか、世界でも稀なほど何でもかんでも手軽に食べられる現代の東京という街に暮らしていながら極端に食事を節制することほどヘンテコな話はない。世界を見ればロクに食事も摂れない人が天文学的な規模の人数にのぼるわけだから実にもったいない。
まあ、美を追求する女性の意識にケチはつけられないが、男が感じる美と女性が思う美には大きな隔たりがあるのが「まるみをおび」の解釈の違いだとも言える。
こんなことを一生懸命書いてしまう私もかなりのヘンテコではある。還暦も遠くないのに煩悩丸出しの言動に明け暮れている。人生後半戦だから何となく切羽詰まった感覚で現役感を味わいたいという衝動が強くなっているのだろう。
元気で健康な証拠だから無理に軌道修正することもないだろう。バカなことに注力出来る時間もそうたくさん残っていないはずだからせいぜいハッスルするとしよう。
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