「恋人が欲しくない」。20代の男女の4割がそんな寝ぼけた精神状態にあるそうだ。政府が閣議決定した少子化対策白書に盛り込まれた意識調査の結果だ。
う~ん、なんとも困った話だ。こっちの老後を支えてくれる若年世代がそんなノリだと安心してジジイになれない。
恋人が欲しくない理由の多くが「面倒だから」だとか。
そりゃあ恋愛なんてメンドーなことばかりだ。でもそこが面白味だと思う。やれ他の女に目移りするな、やれ私だけを見てくれ等々、メンドー極まりない。
そんなメンドーを「趣」に感じないようでは人生を楽しむことは難しいと思う。
メンドーなことを言われること自体、光栄だと開き直るほうが建設的である。なにより自分が必要とされているわけだから有難い話である。
若者が恋愛しないなら、代わりにオジサマがせっせと恋愛しなければならない。
それは関係ないか。
俗に恋愛体質という言い方がある。いつでも恋をしていないと不安やストレスが溜まるタイプの人のことだ。
もっと進んで恋愛依存症状態になれば、ほぼ病気である。でも恋愛に無縁な生き方よりは人間らしいとも言える。
誰かに好かれたい、認められたい、必要とされたいという欲求は人間の根源的なものである。そう考えると恋愛体質の人は極めて人間的だ。
自分自身を振り返ってみても、そんな経験がある。常に誰かと沿っていたい時期が結構あったような気がする。
ワガママで気ままな行動が好きな割には、人から良く思われたいとか、ふとした時に寂しく感じることもあって、一種の自己確認として恋愛を求めていたように思う。
自己確認型といえば、ある意味、セックス依存症も似たようなものだ。
自分を分かって欲しいという欲求が歪んだり、孤立感への恐れ、愛情の欠乏感などが原因らしい。人間関係の築き方が苦手な人が陥りやすい。
セックス依存症などというと、単なるスケベとみなされそうだが、深刻化すると長期間の治療が必要なほど廃人に近い状態になってしまう。
女性の場合、社会秩序のおかげ?で“女ブレーキ”がかかるため、男性よりセックス依存症になりにくいらしい。ただ、その分、恋愛依存症が重症化することがあるそうだ。
恋愛中毒、セックス中毒などと言うと、モラルの欠如とか性格的な欠陥とみなされて終わりだが、自分でコントロールできない場合、コトは重大だ。
アル中やギャンブル依存症だって、昔は気持ちの持ち方次第だと簡単に片付けられてきた。だが、現実の闇はそんなに簡単ではなく、いまでは適切な治療が必要というのが世間の常識である。
ちなみに私自身、とある時期に自分が性的な面での依存症ではないかと大真面目に心配したことがある。
はっきり言って恐怖だった。あの不気味な枯渇感は何だったのだろう。普通なら起こりえない制御不能状態だ。
自分なりに思い当たる理由はあったのだが、心の闇はいとも簡単に降りかかってくることを痛感した。自覚してそこから逃れようと強く意識しないと闇はどんどん広がっていく。
話が脱線してしまった。
恋愛話は楽しくないといけない。
とりあえず恋愛ほど身体に良いものはないらしい。恋に落ちると体内ホルモンをコントロールする脳の部分が活性化するんだとか。
ドーパミンも出まくって元気ややる気がモリモリになって免疫力が上がり、ストレス耐性もアップするそうだ。
いいことづくめである。ガン予防にも最適である。
確かに恋愛初期だったら、好きな人が待ち合わせに遅れてもアホヅラして待っていられる。眠気も感じなくなるし、気力だって充実してくる。
若い世代がこんな体験を放棄しているのが実に惜しい。アホみたいに色恋に没頭するのが若者の特権なのに嘆かわしい限りである。
ちなみに快楽ホルモンとも呼ばれるドーパミンは永遠に出続けることはなく、2年程度がせいぜいだとか。「恋愛感情なんて2年もすれば冷める」という世間の常識は生理学的に正しいということ。
何かのウケ売りだが、これって人間のDNAと関係しているらしい。赤ちゃんは生まれて2年もすれば立って歩けるようになり、コミュニケーションも取れるようになる。
太古の昔、人間のオスは2年程度はメスの子育てに協力するものの、子供がそこそこ育つと、また別のメスを求めて去って行ったのだとか。
種の保存のため多種多様な相手と生殖活動をしていたDNAが、現代の恋愛事情に影響しているのなら実に面白い。
ウソかホントか分からないが、太古のロマンという意味でロマンチック?な解釈である。
2015年7月1日水曜日
恋愛体質 セックス中毒
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