ニッポンの洋食が改めて人気らしい。テレビドラマ「天皇の料理番」がヒットしたことも影響しているそうだ。
昔から洋食が大好きな私としては単純に嬉しい。ウマい店が増えればもっと嬉しい。
「洋食」と言うと抽象的だが、シチューやグラタン、クリームコロッケ、オムライスといった近代日本の幕開けとともに普及した「あの手の洋食」である。
よく分からない料理名でこちらを困惑させる新進気鋭の本格フレンチなどとは一線を画した「昔ながらのお馴染みのアノ洋食」である。
オムライス、グラタンと言えば、一歩間違えたら、お母さんがチャッチャと作る子供向けの料理と間違えられかねない。そんな「洋食」である。
その他の外食とは異なり、ジャンルが抽象的なせいで、接待やデートの際に「洋食屋に行きませんか?」という話にはなりにくい。
そこが洋食の弱点?である。妙に高価で、でも、その分抜群にウマいにオムライスが待っていようとも、勝負デートの際に「オムライス食べに行きませんか?」とはなりにくい。
「カニクリームコロッケ食べに行きませんか?」、「ロールキャベツ食べに行きませんか?」、「ウマいタルタルソースを出す店に行きませんか?」等々。なんとなく成立しにくい。
「フレンチに行きませんか?ロブションあたり」、「バスク地方の味を再現した店はいかがです?」、「熟成肉のステーキは?」、はたまた「満漢全席にご招待します」・・・。こんなセリフに比べるとニッポンの洋食はどうにも分が悪い。
しかし、声を大にして言いたいのだが、上に並べた数々の誘いよりも実は多くの日本人の魂を揺さぶるのがニッポンの洋食である。
ドミグラス、ベシャメル、タルタル!である。以前から自分のことをタルタル人と称している私だが、またの名は「ドミグラー」であり「ベシャメラー」である。
意味不明でスイマセン。
洋食屋もさまざまである。ランチ800円ぐらいでそれなりにウマいメニューを出す店もあれば、オムライスに数千円取るような店まで存在する。
どっちもアリだと思う。
安い方はもちろん、高級志向の洋食屋ももっと増殖して欲しい。高いオムライス、高いクリームコロッケ・・・。それはそれで結構だ。時々そんなものを食べると独特な高揚感と満足感を味わえる。
「昔から普通に食べていたもの」だから、逆に贅沢な気分を実感できる気がする。
作るほうだってオムライスやコロッケにウン千円の値付けをする以上、相当な覚悟?があるはずだ。
家でも食べられる、そこらのファミレスでもそこそこの味で提供している。イマドキは冷凍食品だってそれっぽい味を再現している。
それなのにオッタマゲな値付けをするんだから気合いも入るだろうし、素材も良いだろうし、こだわりもあるだろう。
上に載せたオムライスの画像は、日本橋たいめいけんの「たんぽぽオムライス」。チキンライスの上にドカンと載ってきたオムレツをナイフでかっさばいて堪能するイベント感?が嬉しい。
ちなみに2階席だと2800円である。牛丼が10杯ぐらい食べられる。100円マックが28人で食べられる計算である。高価だ。
高いか安いかは相対的なものだが、このオムライスは「ひとときの幸せ」を確実に味あわせてくれる。
ヘタれた飲み屋でヘタれたツマミで一杯ひっかけたら3千円ぐらい飛んでいく。気分もヘタれる。
それなら一点豪華主義のウマいものをワシワシ食べたほうが精神衛生上も良いはずだ。
贅沢する時は言い訳が必要である。私はそんな言い訳を考えるのが得意である。
カニクリームコロッケとビーフシチューである。これまた定番中の定番だが、老舗洋食屋さんで注文したくなる王道メニューだ。
良い意味でクドいし、良い意味で濃厚である。昭和を思い出す。クリームコロッケなんてものはアッサリしてたら負けである。クドいことこそが存在意義だ。
全然話は違うが、数ある洋食屋の中で私にとって別格なのが、根岸にある老舗「香味屋」だ。
場所が場所だけに滅多に行かない。いや、滅多に行かないから私の中で最高峰になっている可能性はある。私の味覚なんてそんなものである。
最高峰だと思うなら立地にかかわらず訪ねればいいのに、面倒がって他の店に行く。そんなヤツが分かったように洋食を語ったらダメである。
よく分からないまとめ方になってしまった。
江戸料理ではなく、近代東京の郷土料理が洋食である。行きたい洋食屋はいっぱいある。気合いを入れて探検しようと思う。
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