2015年7月3日金曜日

野菜への畏怖


年齢とともに変わったものが健康に対する認識だろう。若い頃のような無鉄砲ぶりが続くはずもなく、いつの間にかサプリに頼ったりしている。

筋金入りの野菜嫌いである私としては、いまさら野菜ワールドの軍門にくだるのはイヤだ。だからサプリを摂取する。

効き目は分からないが、すべて「気の持ちよう」である。ビタミンC、E、Dを始め、プロポリス、しじみエキス、セサミン等々を欠かさず摂取している。まれに見る真面目男だ。

青汁も平日は最低500㎖はガブ飲みする。これだけ頑張れば日頃いっさい野菜など食べなくて済む。そう信じている。

とはいえ、身体の奥深くから発せられる信号のせいか、時々、浮気してホンモノの野菜を食べちゃうことがある。



某居酒屋でオニオンスライスとほうれん草のお浸しを注文してしまった。これぞ加齢のなせるワザである。

昔の私を知る人なら卒倒するほど大人っぽい?行動である。おまけに完食した。驚天動地である。ベジタロウである。


調子に乗って「アスパラつくね」なる一品も注文した。串の部分がアスパラで代用されている不届きな?食べ物である。

カネを払ってアスパラを食べた自分に心の底から感心した。人間は無限の可能性を秘めていると改めて痛感した。大げさだ。

別な日もデリバリーの中華でチンジャオロースを頼んで完食した。チンジャオロースといえば何を隠そうピーマンが主役である。

お金を払ってピーマンを食べるという私にとっては信じがたいことをしでかしたわけだ。

そしてピーマンをすべて食べた。マズいなあ~と25回ぐらいつぶやきながら食べた。

謎の行動である。守護霊がコントロールしているのだろうか。普段ふつうに野菜を食べている人にとっては、私のこの気分は分かってもらえないだろう。

「自分で自分を褒めてあげたい」ってやつである。いや、それだけでなく「信念曲げやがったなバカチン」という悪魔の声も共鳴していた。

ここが問題である。野菜を食べた自分に素直に酔いしれればいいのに、その行動を邪道だと否定する自分もいる。


野菜酵素なる謎のサプリも新たに飲み始めた。素晴らしいことである。

どうやら、野菜に対する妙な「脅え」みたいな衝動が最近の私を支配しているようだ。

そんな真面目な日々を結構続けてみると、私の定番である「野菜をまったく無視した食事」が光り輝いてくるのも一面の真実である。

「オレって野菜を結構食べているんだぜ」という自信によって「ノー野菜デー」の免罪符を手に入れたような感覚である。

お寿司屋さんで野菜ゼロ、焼鳥屋で野菜ゼロ、焼肉屋でもタン塩とホルモンとチャンジャだけ。そんなパターンである。


野菜抜きの王様がウナギである。ハンバーグとかビーフシチューだってニンジンだのクレソンだの余計なモノが付きものだが、ウナギは殺風景なほどにウナギだけである。

写真は先日訪ねた日本橋の「大江戸」。鰻重に付いてくる漬け物以外に野菜が顔を出すスキなど無い。

この日はアンキモ山椒煮、子持ち昆布、ハモ、そして白焼きと続いたから、野菜のヤの字も無い時間が過ごせた。

サプリもいっぱい摂取しているし、時にはホンモノの野菜だって食ってるんだぞ、という強気な心理状態がウナギを引き立ててくれた。

健康を意識しているなどと書き始めた割には、結局、相変わらずの不健康自慢みたいな話になってしまった。

シングルライフを送っていると、漠然と家庭料理を食べないと健康面でヤバいのではと思いがちだ。

そのせいで「意識」だけは野菜方面に向けている。でも、考えてみれば家庭があった時でも野菜はドケちゃって好きなものばかり食べていた。

仮に料理好きな女性と交際しても、おそらく自分が食べたいものをリクエストして、間違っても八宝菜みたいな料理には手をつけないはずだ。

結局、シングルだろうと何だろうと食生活を変革するのは難しい。やはりサプリと青汁に世話になるしか道は無いみたいだ。

オチも結論も無い話を書き殴ってしまったが、私にとっては食生活を真面目に考察し始めたこと自体が大きな進歩である。

やはり、自分で自分を褒めてあげたい。

でも、悪魔も相変わらず囁いている。

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